プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

『タモリと戦後ニッポン 』(講談社現代新書) 雑感 〜〝幻想の満州〟から戦後ニッポンを嗤う〜

 

タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書)

本書はタモリの足跡を通して
戦後ニッポンの歩みを振り返るというものである。

なぜ、タモリを軸としたのか。

それはまず何より、彼が一九四五年八月二二日と
終戦のちょうど一週間後に生まれ、
その半生は戦後史と軌を一にしているからである。

(本書「はじめに」より)

 

 

タモリとはなにか?

  今でこそ知性と嫌みにならない程度のディレッタンティズムを感じさせる得難いテレビタレントとして評価の高いタモリだが、50代以上であればデビュー時にはきわめて胡散臭く、「なにかヤヴァイもの」扱いだったことを覚えているはずだ。カントリー音楽や名古屋に対するdisり芸は80年代頃まで続いていた。「でたらめ外国語」「ハナモゲラ語」「ソバヤ」など、意味を度外視して音にこだわることの面白さの発見は、おそらくジャズなど音楽の経験から来ているのだろうし、それは現在の「空耳アワー」にまでつながっている。

 「笑っていいとも!」以降のタモリは世の常識に合わせて真面目になったように見えるが、決してそうではない。ぎりぎりの界面を綱渡りする芸に磨きをかけているだけだ。その片鱗を「タモリ倶楽部」で見せてくれるし、実は公共放送の「ブラタモリ」でもかなりきわどしことをやっている。けど、問題にはならない。おそらくそれは俗の極みである「いいとも!」の長年にわたる経験によるのだろう。

  テレビデビューは、東京12チャンネル(現テレ東)の伝説的番組「空飛ぶモンティパイソン」で、アイパッチに可動式蝶ネクタイの怪しい風体でブラックなトークとイグアナの真似や「四か国親善マージャン」「ハナモゲラ語」を披露して、それを見た中学生の私は大きなカルチャーショックを受けた。同時に世の中の規範や常識から踏み外す大人の格好良さというものを知った。

 以来、僕はタモリが出演するテレビ、ラジオ番組をことごとく漁るようになり、「四か国親善マージャン」で披露するでたらめな英語、中国語、朝鮮語ベトナム語などを独学でマスター(今でもけっこうできるよ)。買ったばかりのラジカセをフル活用して、自分がアナウンサーになってインチキ北京放送(中国)や朝鮮中央放送北朝鮮)の番組の録音テープをつくって悦に入っていたりした。

 文学や音楽などのカルチャーに関して、僕はほぼ欧米の人物からの影響しか受けていないと思うけれど、多大な影響を受けた数少ない日本の文化人が伊丹十三タモリだった。二人とも時代を画したクリエーターであり、パフォーマーだが、どこかメインストリームに背を向けて(しかし〝反主流〟ではない)いるところが共通しているように思える。成り行きで時代には乗っかるけど、決して流されはしない。期せずして自分自身もそういう道を歩んでいることに思わず苦笑してしまう。

 またこの二人に共通するのは昭和の日本=イナカモノ性を嘲弄するような透徹した視線だろう。嘲弄の表現方法はまったく異なるタイプではあったが。

  .....おっと、思わず僕のタモリをめぐる個人史的無駄話が長くなってしまった。

  本書は綿密な取材と多様なインタビューを素材に、わが国の戦後史と重ね合わせながら、タモリという人物のあり方をあぶり出した労作だ。僕よりずっと若い世代の著者だが、視点は「いいとも」以前のタモリに比重を置いている。つまりタモリが発する胡散臭さへの興味が重要なモチーフとなっているように思える。そういう意味で、自分が知りたかった、読みたかったタモリの原風景がほぼ書き尽くされているという読後感を味わった。

 先に僕はタモリ伊丹十三を並列したが、本書では満州というキーワードから森繁久弥との共通点が語られており、これが非常に説得力ある。タモリの両親は満州からの帰還者で、子どもの頃から満州の大らかさに比べて日本のいかにセコいことか……という話を聞かされて育ったそうである。タモリ自身は満州を知らない。しかし島国根性あふれる昭和元禄を嗤うタモリの「大陸」的な視点は、生まれる以前にその場所で育まれていたのだ。〝幻想の満州〟こそタモリの重要な原風景の一つなのである。

  自らの意思で幼稚園入園を拒否して、日々、自宅の玄関で人間観察にいそしんでいたというエピソードも楽しい。親の都合だったが、僕も幼稚園中退して、小学校入学までブラブラしていた時期がある。数年前にサラリーマンを辞めた時、将来への不安とともに、その時の開放感を思い出した。ちょうど50年前の1967年のことだった。

…..ああ、やはり最後は自分の話をしてしまったか。失礼。