プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

卒業式だと言うけれど 何を卒業するのだろう。

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熱い心をしばられて 夢は机で削られて

卒業式だと言うけれど 何を卒業するのだろう 

あーわかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか

ララバイ ララバイ おやすみよ   ギザギザハートの子守唄

チェッカーズギザギザハートの子守唄』作詞:康珍化

 

卒業シーズン。今月になってリクルートスーツの就活生をチラホラ見かけるようになった。僕が大学4年の春、社会に出る前に社会の裏側について見聞を広めようと思った。裏とはいっても社会は社会。社会人として知っておくべき事柄がそこにはたくさんあるように思えた。そこで就職活動卒論準備の傍ら、やくざ社会をバックとした”企業“でキャッチセールス等のアルバイトをしてみたり、その後世間を大きく騒がせた新興宗教の学生アジトに潜入したりしていた。それほど危ない目に遭わなかったのは、あくまでも傍観者であり、最終的には慎重(臆病ともいう)な性格であったためだろう。一度チンピラに組事務所に連れ込まれたこともあったが、親分が「カタギの学生さんに手出すんじゃねえ」とチンピラを一喝してくれたたおかげで無事であった。古き良き極道。その一部始終、私は小便チビリそうになりながらも、妙にわくわくしていた。キャッチセールスでは警察署にしょっぴかれそうにもなったが、”先輩“たちの根回しのおかげでうまく逃れた。アブない世界と警察は、実は仲が良いのである。潜入した新興宗教のアジトは、なかなか和やかな雰囲気だった。神の存在と真理についてディスカッションをして〝洗脳〟ビデオを見せてもらったが、そこに居る間中、笑いをかみ殺すのに苦労した。どうやったらこんな善悪二元論のシンプルかつ硬直した世界観によって、自らの生き方を選ぶことができるのであろうか? 逆に感心してしまう(すぐに企業社会だって似たようなものであることを実感するのだが)。信徒たちは全員とても性格が良さそうな人ばかりで、性格の良さが人間にとって、必ずしも好ましくないことなのではという思いが湧いてくる。だったらきっとオレはこのままでいいのだ。梅雨が開け、夏がやってくる頃、私は晴れ晴れとした気持ちで就職活動を本格化させた。30年以上前、確かにギザギザハートで生きていたが、同時に大島弓子山岸涼子のマンガを手放せなかったことを思い出す。