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プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

年度末の差し迫ったこの時期に音楽ファンとしての自分を点検する。

 

 

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そこにあるものではなく、ないものをプレイするんだ。知っていることではなく、知らないことをやる。変化しなければいけない。それは呪いのようなものだ。

Don’t play what’s there, play what’s not there. Don’t play what you know, play what you don’t know. I have to change, It’s like a curse.

 

伝説というのは、過去の業績にしがみついている老人のことだろ。オレは今でも現役だ。

A legend is an old man with a cane known for what he used to do. I’m still doing it.

 

すべて学び、そして忘れろ。

Learn all that stuff and then forget it.

 

 (マイルズ・デイヴィス 語録)

 

 このブログでもしばしば取り上げているが、僕は60~70年代のロック音楽が大好き。人生のタイミングというものは非常に重要で、10代の時に心をふるわせた体験はその後の人生の骨肉となってしまっているのでどうしようもない。この先の音楽人生において『ホワイトアルバム』や『クリムゾン・キングの宮殿』や『レッド・ツェッペリンⅡ』や『スライダー』と同等の衝撃が待ち構えているかと考えると、あまり期待できそうにない。もちろん、昨今も刺激的な音楽は少なくない。昨年であったらイタリアの新鋭The Winstonsは大きな収穫だったし、ベテランの域に達しつつあるレディオヘッドの次の動きにも大いに注目している。また昨年はローリング・ストーンズジェフ・ベックといった超ベテランが充実した新作を発表し、きわめてレベルの高いライブパフォーマンスをみせてくれた。

 一方で完全に創作者・演者として停滞し、同窓会的なバンド再結成や昔の名前で出ています興行しかできなくなっている60~70年代の著名ミュージシャンも目立つ。日本のファンはそうした旬を過ぎたミュージシャンをも温かく迎え入れてくれるせいか、「えっ、あんな人まで?」という来日公演が実現する。 ロックファンの間ではベテラン来日のニュースが届くたび「今、見ておかないと(いつ死ぬかわからないから)これが最後のチャンスになるかもしれない」というような話が囁き交わされるようになり、確かにその通りかもしれないが、僕にそうした「死に水を取る」発想はあまり湧いてこない。

 

 昨年に続いて今年も一時代を築いた大物ミュージシャンの訃報が相次ぎ、そのたびに僕も厳粛な気持ちになる。ただしその気持ちにはやはり差異がある。

最期まで高いクリエイティビティを保持し、ぎらぎらとした現役感を漲らせたままあの世に行ってしまったルー・リード、プリンス、デヴィッド・ボウイらと、昔の名前で出ていますといった方々とでは、やはり喪失感や追悼する気持ちは同じとは言えない。

 

 なぜならば僕は彼らの作る&演奏する音楽のファンなのであり、必ずしも人としての彼らのファンではないからだ。ゆえにつまらない作品や不毛な同窓会的パフォーマンスに甘んじるミュージシャンは、フツーにdisるかシカトする。ミュージシャンとして見切ったかつてのアイドルは枚挙にいとまがない。              

 ロックファンにはたとえ旬を過ぎたミュージシャンでも見捨てない「人で聴く」タイプの人も多い。もともとエルビスビートルズはアイドルなのであり、音楽とともにその存在感・キャラクターで不良少年たちと女子供の心を惹きつけた。ある意味「人で聴く」はロックファンの王道なのだ。歳月を重ねると、そこにファンの個人史が重ねられ、いっそう深く信奉するようになる。なにげに「信奉」という言葉を使ってしまったが、芸能のスターシステムと宗教は模式的には同じようなものだと思う。コンサートチケットやグッズ購入費をファンの間で冗談半分に「お布施」と呼びならわすのもその表れ。いい年した大人がミュージシャンのサインだとか、一緒に写真を撮るなどのファンサービスに一喜一憂していることや、生家や録音スタジオ、ライブハウスなどアーティスト縁の地を訪ねる「聖地巡礼」もそう考えると腑に落ちる。神様の足跡には御利益があるのだ。

  僕が「人で聴く」のをやめて、徐々に「音で聴く」スタンスへ移行したのは、80年代前半のことだと思う。1980年末のジョン・レノンの死もすくなからず影響があったかもしれない。産業ロックなどとも呼ばれていたメインストリームのロック音楽にすっかり関心が薄れ、インディーズ系&ポストパンク系のレコードをあさり始めた。また、同時代の音楽に感じる不毛さから逃れるため、古いブルースやジャズにも走った。そこで出会ったのがマイルズ・デイヴィスである。

 とにかくマイルズのつくる「音」はかっこよかった。50年代のハードバップから70年代のエレクトリックジャズまで「かっこいい(Cool)」という絶対神に仕える大司教マイルズの采配に感歎するばかりだった。

 そしてそんなマイルスの音楽人生に(ヘンな言い方だが)ロックスピリットの神髄を見た思いがした。時代と切り結びながら我が道を行き、自分の音楽を追求するマイルズ。作品名を借りるとかれのIn A Silent Wayにシビれた。

 そのマイルスも90年代が始まってすぐに死んでしまった。もしかしたら彼については最後まで「人」で聴いていたのかもしれないな、と思う。それにしても遺作がヒップホップだったのにはまいった。しかもなかなかの傑作ときている。昨年のボウイの遺作にも同じことを思った。おいおい新鋭ジャズかよ。しかもオシッコちびりそうなかっこ良さかよ! もしかしたらボウイも「人」で聴いていたのかもしれない。ファンからの評判の悪いティンマシーンも愛しているからなあ。