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プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

類型的な人間 〜11月の呟き

 

 

世界の十大小説〈上〉 (岩波文庫)

 

彼もまた、大抵の私たちと同様、罪──果して罪と言えるかどうか分からぬが──を犯すと、一旦は後悔しても、機会が与えられると、再び同じ罪を犯すのだった。気は短かったが、心はやさしく、寛大で、腐敗堕落した時代の人でありながら、人柄は誠実だった。夫としても父親としても情愛が深く、勇敢で、正直で、友人に対してつねに忠実だったが、友人のほうでも終生彼を裏切ることはなかった。他人の過ちに対しては寛大であったが、残忍な行為や裏表のある言行は心から憎んだ。成功したからといって得意になるようなこともなければ、逆境に出会っても、しゃこ一つがいと赤葡萄酒一びんの助けを借りて、毅然として耐えて行った。人生の浮沈に対してつねに元気よく上機嫌に身を処し、心ゆくまで人生を楽しんだ。つまり、彼自身が描き出したトム・ジョーンズによく似てもいれば、同じく彼が描き出したビリー・ブースにも似ていないではない。まさに彼は人間らしい人間だった。

(W・S・モーム『世界の十大小説』~ヘンリー・フィールディングと『トム・ジョーンズ』~ 西川正身訳)

放蕩と矛盾の人生を送ったフィールディングに対してモームはとても寛大である。

モームという小説家は類型に人間を落とし込むのが得意だが、類型に抗することの徒労とともに類型の限界、すなわち矛盾する複数の類型が一人の人間の中に同居することが自然であるということも心得ていた。他人のことを語っていても、自ずと自分自身の輪郭を描いてしまうのは言語表現の宿命ともいえるが、それを受け入れ、類型の囁きに耳をすますことから、言語の機能性を補う手立ての糸口が見つかる。別に小説に限った話ではない。

そしてまた、この世には自ら描いた、あるいは自ら信じた類型にとらわれ身動きできなくなっている人間も少なくない。そういう人は言葉が浮いており、その人自身しか知らない暗闇にひたすら泥の塊を投げかける如しである。これはおしゃべりや文章の上手下手とは関係ない話である。いわゆるプロでもその類いはしばしば目にする。しかし、暗闇マニアの仲間というものは、世を探索すれば少なからず存在するものなので、幸いにも自分がマニアやヘンタイであることに気づかず、なにか変だなと思いながら人生を全うすることも可能であろう。

 

まあ、人間らしく生きたいね。