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プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

不毛地帯から。

opinion 人物

 

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ストーリーは難解で、テーマも稚拙な不毛な作家だったが、ヘミングウェイフィッツジェラルドなど同年代の作家の中では言葉を武器として戦うことのできる数少ない作家だった。

村上春樹風の歌を聴け』)

 

 

今年も村上春樹氏のノーベル文学賞受賞がささやかれているが、果たして結果はどうであろうか? 個人的にはボブ・ディラン氏に受賞して欲しいと願っているのだけど、あまり下馬評は高くなさそうだ。

小説に関しては日本人が日本語で書いた作品より、欧米の翻訳作品をたくさん読んでいる自分にとって、実を言うと日本人の文学賞受賞はピンと来ない。多くの作品を読んでいる数少ない(というかほぼ唯一の)日本の現代作家の一人が村上春樹であるのだけど『ノルウェイの森』以降はそれほど熱心な読者とは言えない。強いて言えば彼の短編小説の熱心なファンではある。

上の引用文は村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の冒頭で語られる架空のアメリカ人SF作家であるデレク・ハートフィールドについての言及だ。それまでジャズ喫茶のマスターだった村上春樹が、このでデビュー作によって、異世界での勝負に打って出る覚悟のようなものが、この唐突な架空作家の登場に仮託されている。

デビュー直後、ヴォネガットチャンドラーとの文体の類似が指摘されることもあったが、それは単に表現形式の問題に過ぎず、むしろそうしたものを利用して、日本語文学のじめっとした私小説的な不毛地帯を掘り起こしたことに大きな意味があった。作者自身のインタビューで『風の歌を聴け』という作品は、最初英語で書かれたものを日本語で書き直して...完成させたという。そうした言葉を武器化するプロセスを経てしか生まれ得なかった新しさが確かにその作品にはあったし、私はそこに共鳴してむさぼり読んだ。日本語でこういうこともできるのか!…という興奮と感銘がそこにあった。その後、春樹エピゴーネンっぽい小説作品が頻出したようだが、その余波があったからこそ、現在の『コンビニ人間』のような小説がオーバーグラウンドに登場できたのではないかと思う。

ちなみに『風の歌を聴け』を読んだ高校生の私はデレク・ハートフィールドの作品を求めて神保町の古本屋を彷徨ったことがある。それが架空の作家だと知ったのは、ほぼ半年を経てからだったろう。あとから聞くと、『風の歌を聴け』を読んで同じような体験をした人は少なくなかったようだ。当時はググることなどできなかったので、真実を確かめるためにはとにかく自分の足を棒にするしかなかった。馬鹿馬鹿しいけど、今から思い返すとそれはなんというか実に村上春樹的な青春彷徨だったように思え、微笑ましい。もうそんなことは二度とできないのだから。

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)