プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

10年前、父が墓を買った。

 

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登山家引退

 ちょうど10年前の2006年7月、父親が自分が入るための墓地を購入した。そこは自宅から徒歩で行ける浄土宗の寺院内にある。紀州にルーツを持つ関西人であり、ふるさと大阪を離れて半世紀以上経てなおも大阪弁を話した父だったが、特に大阪や関西にこだわりがある訳ではないようだ。骨を埋めるのはどこでもいいらしい。40代ぐらいまでは「墓も葬式もいらん。火葬だけして灰はどこかの山の上から散骨してくれ」といっていた。夏山単独行が(酒以外の)唯一の趣味らしい趣味だった。それもちょうど現在の僕の年齢くらいでやめた。南アルプスでの最後の夏山登山の帰り、疲れて岩陰で休んでいたら、「おじいさん、だいじょうぶ?」と若い登山者に声をかけられ、「おじいさんと言われたら、もう登山家としてのオレはおしまいや」と思ったそうだ。確かに50代でおじいさんと言われたらショックだ。それで大学以来の趣味をきっぱりやめてしまった。同じ職業出身の都知事候補の76歳のおじいさんはまだまだ色気たっぷりのようだが。

 

逆噴射記者

 昭和ヒトケタ、終戦を15歳で迎えた父は、徹底した相対主義者であり、多数が信じること、賛成することに対して必ず異論を言いたがる人である。朝日新聞記者であったがいわゆる左翼リベラルではない。世間の人は大きく誤解しているが、もともと朝日新聞読者のコアは決して左翼ではなく、穏健な保守層である。先日、Facebookの友人が朝日新聞にきわめて保守的思想の色合いがする結婚斡旋業の広告が出稿されていることに違和感を表明していたが、いや、あれはずばりターゲットを捉えている広告出稿なのだ。朝日読者とは、かつての自民党ハト派支持者のイメージで、古き良き家族主義的価値観のもと穏やかな日常を望む人々だ。決して社会変革を夢想する社会党共産党に投票する人たちではなかった。ちなみに朝日新聞社は確かに論調はリベラルな香りがするが、右から左までの記者をズラリ取りそろえていたし、これは今でもそれほど代わっていないのではないか?
 父は、大阪商人の出自らしく、徹底的に現実主義者であった。と同時に前述の通り反骨心にあふれる人であり、大勢が同じ意見に流れている世の風潮があるとき、あえて逆張りの意見を放ち、問題も起こした。中国との国交回復時には特派員として北京に行き毛沢東周恩来とも会ったが、全国的な国交回復歓迎ムードの中で、共産党独裁の問題点を指摘しようとして記事を留められたこともある。あるいは、林業問題に取り組んでいるときに、自然保護派が「知床の木を一本も切らすな!知床の森を守れ!」と叫んでいるのを捉えて、「いや、森の木は切らないと根腐れするから、知床の森はどんどん伐採しましょう」などと主張して、相手を激高させた。

 

パンパンの感謝

  面白いエピソードもあった。最近は従軍慰安婦の報道で問題を起こした朝日新聞だが、父は「パンパン(米駐留軍軍相手の娼婦の俗称)は、体を張って外貨を稼ぎ日本の戦後復興を支えた素晴らしい人々」というおそらく今ではなかなか出稿できないだろう内容の署名記事を書いて、社内外から批判を浴びたこともある。これは後日談が面白くて、ある日、会社の父宛に現金書留が送られてきた。宛名に覚えがない。首をひねって封を切ってみると一万円札数枚と手紙が入っている。その手紙の内容は「私たちが戦後復興を支えたと書いていただいて、涙が出るほど嬉しかった」という元パンパンの方からの手紙だった。現在は孫もできて幸せに暮らしている..とも書いてあったそうだ。送り先はでたらめの住所で、名前もおそらく仮名。お金を返却することができなかった父は、同期の友人である編集局長と相談して、そのお金を使って会社の仲間や後輩と銀座で飲んだらしい。



  父のような天の邪鬼は、職場でも、家庭でも、甚だメーワクな存在であるわけだが、不思議にそれほどは憎まれないタイプだ。父の葬式で元部下の人たちの話を聞いてそう思った。話題は父のケチぶりや依怙贔屓やKYぶりの話ばかりだったが、みなニコニコと懐かしんでいた。意外にも銀座のママたちにももてたらしい。いい職業人生だったんだろう。でも、宗教やイデオロギー、思想等にとらわれた生真面目な人たちからはそれなりに疎まれ、敵視もされていたようだ。そこらへんのことを、退職後に出版した著書(上の写真)に淡々と書いていた。

 ところで、自分の墓を買うというのはどういう気分なのだろうか。今や墓の中に(2歳で早死にした娘=私の妹と一緒に)納まっている父にそのことを訊いてみたいと思っている。できれば私がそこに入る前に。