プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

今上天皇「生前退位」で思ったこと。

 

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昨夜、天皇陛下が生前退位の意向を示されたことで、日本国民は大きくどよめいた。当然だろう。日本国民の統合の象徴である天皇が、日本国の法律で定められていない、いわば掟破りを「意向」として示されたからだ。海外のメディアも軒並み大きなニュースとして報道した。

 

報道を受けて、ネットは天皇の意向を忖度してさまざまな意見が飛び交い、まるで蜂の巣をつついたような騒ぎだった。

その後、宮内庁のスポークスマンが「事実無根」と声明を出したり、情報はやや混乱した。この辺りの事情についてもいろいろと考えるところはあるが、ここでは語らずにおく。

SNSで目に付くのが、先日の参院選の結果を憂慮した天皇が、安倍政権の憲法改正へのアクションを阻止するためにこの挙に及んだというものだ。皇室典範の改正作業で憲法改正どころじゃない...という理路だ。確かに明仁天皇の平和への思いはとても強く、選挙後のタイムリーな話題であるので、実は私自身もツイッターフェイスブックで冗談めかしてそういう話を振ってみた。なかなか盛り上がる話題だが、ゴリゴリの護憲派が「マジ」になっちゃうのがちょっと…という感じ。


しかしながら、いくら護憲派が言うような「危機感」に駆られたとしても、常に民主主義のルールを重んじる明仁天皇が、現実問題としてそんな言論テロまがいのことをすることは考えにくい(というかありえない)。また、たとえ皇室典範の改正作業が行われたとしても、それによって憲法改正への手続きに多少の遅延はあるだろうが決して中断するわけではない。その程度のマルチタスクができない政府なんて、そちらのほうがむしろ不安だろう。また、皇室典範に手を付けずとも、憲法第一章に定められた「摂政」による解決策だってある。

一応、自分の立場を明らかにしておくと、僕は消極的な護憲派である。逆に言えば消極的な改憲派だ。国政に著しい齟齬を来すような具体的な問題が起きない限りは今の憲法で騙し騙しやっていけばいい。そう考えている。ただ、いつか改憲すべき時は来るし、改憲案を論議することはいいことだと思っている。野党はそれぞれの改憲案を持っていていい(むしろ持つべき)とも考える。すでに公布から70年を経た日本国憲法について我が事として考えるキッカケを国民に与えるからだ。

この機会に、日本国民が憲法自衛隊天皇制について、あらゆるタブーを排し、さらにオープンかつ具体的な議論が交わされるような社会になってほしい。形而上学的な護憲VS改憲とかじゃなくてね。

どう言い訳しても自衛隊は軍隊以外の何者でもない。同様に天皇制はあきらかに封建制の崩壊とともに捨て去ったはずの身分制度だ。どちらも日本国憲法に突き刺さった棘のようなもの。棘を我慢したまま堪え忍ぶか。それとも思い切って抜いてしまうのか。

それを決めるのは天皇でも、安倍晋三でもなく、私たち一人ひとりなのだ。

 

最後に蛇足をちょっと。

 今回、天皇陛下が生前退位の意向を示されたのは、皇室事情に明るい人たちが一般的に理解している通り主に健康面での不安からだろう。ここ何年も太平洋戦争の激戦地に精力的に足を運ばれてきた姿を見るにつけ、僕は寿命と競争するような天皇の切迫感を見るような思いがしていた。今回の退位宣言は、それも一区切り付いたとのご判断があったのかもしれない。
 さらに想像するに、明仁天皇は、2020年の東京五輪開催時のご自身の健康状態に深く思いをいたされているのではないか。寝たきりやもっと酷い状態になってしまい、国民が五輪で盛り上がる気分に自粛ムードなどの水を差したくない。僕はそんな思いを忖度する。五輪開催前に自分はたとえ生命を長らえていたとしても〝黒子〟になっておきたい…..違うだろうか?