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プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

「クイズ・タイムショック」の田宮二郎のこと。

TV 人物 回想

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いつも自分たちがいる場所に、一般の方が来た時のとまどいや、不慣れなことを、田宮二郎さんだったら、端正に、人間と人間として向き合って接せられたと思うのだけれども、いつしか、芸人さんは、「いじる」ことで笑いを成立させるようになった。

 上記の茂木さんの記事そのものに、何か言いたいことや異議があるというわけでもない。ただ、記事の最後の方に「かつてのテレビの黄金時代には、等身大の人間がいて、思わず、手をとめるような迫真性があった。今のテレビはどうなのだろうか。」という問いかけがあるが、テレビというメディアが置かれた社会的ポジションが、黄金時代と今では大きく異なっている。ということは言っておきたい。

 そういえば昨日「Abema TV 」という無料ネットテレビ放送がスタートした。コンテンツを見てみたが、釣り専門チャンネルや麻雀チャンネルにちょっと心を惹かれるものがあるものの、まあ、それほど大したことはない。でも、現在の地上波民放テレビを見るなら、コチラを選ぶかもしれない。それに今後、プログラムの充実が図られる可能性もある。正直、もう地上波はNHKだけで十分だ……という人は少なくない。いまのテレビはそれほど追い詰められている。

 しかも昔と異なりテレビ局社員は概ねひ弱なエリートである。報道現場の体たらくを見よ! 茂木さんが待望する迫真性など求むべくもないだろう(←完全に偏見)。ちなみに「Abema TV 」サイバーエージェントテレビ朝日の合弁事業である。


 前置きが長くなりすぎた。僕の興味はこの文章にでてくる田宮二郎さん、にある。

 実を言うと僕は田宮さんの「クイズ・タイムショック」を第一回からみていた。調べてみたら1969年1月というから、小学校1年生の3学期だ。

 初回の放送での田宮さんは、どことなくぎこちなかったのを覚えている。これまでにない新しいクイズ番組への意気込みと緊張感がないまぜになっていたのかもしれない。

 だが、すぐに田宮さんは「タイムショック」司会のスタイルを確立していった。回を重ねるにつれて番組進行がスムーズになっていき、彼の表情や仕草に自信がみなぎっていくのが子ども心にもよくわかった。

 田宮さんの司会は、まるで有能なビジネスマンが顧客に接するような丁寧な言葉遣いと物腰だった。一般人である回答者にアウェイ感を感じさせない気遣いといえばいいだろうか。そのプロセスを、仕事って言うのはこういうふうに取り組んでいくものなのか….というふうに僕は子どもながらに感じていたように思う。クールでニヒルな感じの田宮さんへの憧れもあった。

 後知恵だが、この当時の田宮さんは、映画監督や社長に逆らった挙げ句に大映をクビになり、映画界から干されていたらしい。いわば背水の陣。テレビという新しいメディアでの起死回生を図っていた時期だったのだ。愛読書であった山崎豊子の「白い巨塔」の財前教授の浮沈に我が身を重ね、やがてそのドラマ化作品が自身最大の当たり役になっていく。そして僕が高校2年の冬休み、彼は衝撃的な死を自ら選んだ。タイムショック!!

 初期「タイムショック」でグランプリに輝いた回答者には番組提供のいすゞ自動車から、当時の主力乗用車「フローリアン」がプレゼントされた。田宮さんへの憧れは僕の中でいすゞ車への憧れにもつながっていき、初めて自分で所有した車がいすゞジェミニ」だったのも偶然ではなかったように思える。