読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

2011年3月11日のこと。

f:id:indoorffm:20160310120327j:plain

f:id:indoorffm:20160310120423j:plain

 2011年3月11日。

私は朝早くJR常磐線特急に乗って、取材先の某研究所がある茨城県土浦市に出かけた。現地は駅からかなり離れた筑波山麓である。駅前でレンタカーを借りた。

 午前中にカメラマンによる屋外撮影を終え、昼食後に研究所の所長さんやスタッフにお話をうかがった。

聞きたいことを一通りうかがい、余談っぽい話に入ったところで急に目眩のような感覚を覚えた。

一瞬、所長さんと目が合う。逃げましょう!と彼が叫ぶのを聞いて、私を含め部屋にいた人数は室外の広い空間に避難した。

なかなか強い揺れは収まらず、駐車場に止めてあるクルマを見ると皆、左右にぶるぶるダンスしている。明らかに尋常ではない。

室内で所員の個人ロッカーがばたばたと倒れているのが窓越しに見えた。林の向こう側にある近所の工場らしき施設から火の手と煙が上がった。

しばらくすると揺れは収まったが、また何分か後に彼方よりゴオオオオッと地鳴りが聞こえてきて、大地がゆっくりと、大きく揺れはじめる。恐怖とはこういうものかと思った。

激しい揺れを何度かやり過ごし、土浦駅までレンタカーで戻った。信号はまったく点灯しておらず,古い家の瓦がすべて落ちて路側帯あたりに散乱していた。コンビニ店員が煙草を吸いながら駐車場で呆然と空を見ていた。アスファルトがひび割れている箇所がそこここに見られ、川を渡る橋桁がずれて段差になっていた。


 土浦駅は県警が封鎖しており、警官に訊ねると「線路が曲がったので電車が動く見込みはない」とのこと。泊まるとしてもホテルは停電の可能性が高い。そこで車を借りていた駅前のレンタカー屋で交渉し、東京で乗り捨てにさせてもらうことにした。「そうしてください。どうしようもないですもんね」とレンタカー屋は言った。店内は停電のため薄暗い。

クライアントとスタッフ計4名を乗せて、土浦駅を出たのは17時前ごろ。私の運転でわが家に到着したのは午前2時近くであった。同行者は一人を除きわが家に宿泊し、翌日電車で帰宅した。カーラジオで津波被害を知っていたが、家のテレビで映像を見て言葉を失った。いったいなんだろうこれは? 


上のキャプチャ画像は震災当日から翌日午前中にかけての私のツイートである。

11日は寡黙だが、これはもちろんツイッターどころじゃなかったからだ。ただ当日は、携帯電話や電子メールはサーバがパンクしてつながらず、ツイッターによる連絡がもっとも機能していた。知り合いから無事を確かめるツイートをいくつかいただいた。
12日には饒舌になっている。午后はさらにいろんな事をつぶやいている。人の心配までしているが、今、読んでみるとそれは自分の恐怖を反芻しているだけのように思える。

あれから5年。つい先日のことのように思えるし、ずいぶんと昔のことのように思えることもある。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件とともに、自分の中の何かを変えてしまった出来事であったことは確かだ。ここに書いたこと、その日に見た情景は死ぬまで忘れないだろう。

 

すべての犠牲者に哀悼を捧げ、そして生きてあるすべての被災者に心よりのシンパシーを送ります。