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プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

ディビッド・ボウイの死に方

 

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■好き!好き!「グラムロック」in 英語塾

僕と同じ1960年代初頭生まれで、特に女性の場合は、洋楽ロックに目覚めたキッカケが、1972年頃からのグラムロック(特にT.REX)・ムーブメント、もしくは1974年頃からのBCR・クイーンの二大アイドルグループのどちらかだったという人は少なくないと思う。クイーンはグラムロックの残滓を引きずりながら独自の進化を遂げていったグループで、デビューは遅かったが、世代的にデヴィッド・ボウイマーク・ボランと同じだった。

 
僕自身の洋楽受容みたいなものを振り返ると、ローティーン以前の60年代はザ・ヒットパレード、ハワイアン(日野照子)、ベンチャーズ加山雄三ビートルズモンキーズといった系譜になるが、映画音楽やTVマンガや特撮番組の主題歌からの影響も見逃せないだろう。「ウルトラマン」や「マッハGO! GO! GO!」のテーマソングは変形ロックンロールである。グラムロックもロックンロールのバリエーションであり、「グラム育ち」と自認する僕が深く洋楽世界に没入するようになったのも、T.REXとボウイのお化粧ロックンロールによってであった。ビートルズモンキーズがいなくなった1972年頃のことだ。
 
 その追い風となったのは自分専用の小さなトランジスタラジオを手に入れたことだろう。おかげで一気に音楽世界が広がった(余談だが、ラジオそのものにも興味が芽生え、やがてラジオ工作好き、海外短波放送リスナーとなる)。 その頃、私は名古屋の公団団地に住んでおり、団地集会所で行われていた小学生向けの英語塾に通っていた。先生は南山大学の英米文学科学生で、彼が洋楽情報の重要な情報源となった。ビートルズローリング・ストーンズT.REX、レッド・ツエッペリン、ディープ・パープル、グランド・ファンク・レイルロード、EL&Pなどなど、英語塾で学んだ成果だ。個人的にはショッキング・ブルーミッシェル・ポルナレフも気になるところだった。 その塾は、私が入った当初は何人か男子もいたのだが、次々と辞めて最終的に私以外全員女子になってしまった。小学生の分際でラジオのリクエスト番組の常連投稿者であった早熟な彼女たちからもいろいろ教えてもらった。その当時の経験からか、おっさんになった 今でも女子ばかりの集まりに出かけても、それほど居心地が悪い思いをしないですんでいる。

 小学生の一番人気はやはりT.REXで、同じグラムロックでもボウイは「上級編」というニュアンスがあった。まだアルバムなんて滅多に買えない頃であるから、ラジオで流れるシングルヒットがバンドやアーティストの印象を決めた。しかしレコード屋で見たボウイの最新アルバムに驚かされた。『屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群』という途轍もないタイトルは小学生の度肝を抜くに十分だった。ダークな街を描いたイラストに彩られたこのレコードの中には音楽以外の怪しい何かが含まれているとしか思えなかった。ひょっとしてボウイは楳図かずお先生のご親戚ではないだろうか…。ラジオから流れてきた「スターマン」のずいぶんと軽めの印象とアルバムのイメージとのギャップにも戸惑ったものだ。そういえばレコード屋をやっていた伯母から、お年玉でピンク・フロイド「原子心母」をいただいたのもその頃だったろうか(ちなみに僕は丑年)。まだプログレとか、グラムとか、ハードロックとか、ジャンルの垣根を殆ど意識していない時代で、フロイドとポール・モーリアやレーモン・ルフェーブルが同類だと思って聞いていた時代である。まあ、小学生だからさ。

 

■はたして「イマジン」は名曲なのか?

1973年に東京都下へ引っ越してきてからは海外ロック受容に加速度が付いた気がする。折しも3年前に解散したビートルズの赤盤・青盤が出て第一次甲虫リバイバルの真っ盛りでもあった。ボランのブギーは絶好調だし、ボウイの新曲「ジーン・ジニー」の格好良さったらなかった。ビートルズと同じ東芝音楽工業からレコードが出ていたT.REXピンク・フロイドには特に親しみを感じたが、ボウイの新譜「アラジン・セイン」の稲妻メイクとハードロックサウンドには心奪われた。今でもボウイのBEST3に入れたいアルバムだ。その頃すでにキング・クリムゾンとかイエスとかいう凄いバンドの存在も確認した。新しい曲を、新しいレコードを、聴くたびに驚きの連続だったあの頃を思うと、子どもだったにも関わらず、キツい“ロック”の酒を胃の腑に流し込み、したたか酔っぱらっていたのだとしか思えない。いや….過去形ではなくその酔いは、まだ今も続いているのだろう。

 

閑話休題。時は流れて自分がロック馬鹿の大学生になった1980年、ジョン・ボーナムが横死して落胆していたら、ジョン・レノンが撃たれた。今回のボウイ同様、期待の新譜が出たばかりだった。「なんだそりゃ?」というのが感想だった。「意味がわからん」。悲しいのか悲しくないのか、よくわからなかった。突然の悲劇を報道するラジオ局がポールが書いた「イエスタディ」や「レット・イット・ビー」をかけたのは噴飯モノだったが、その後、「イマジン」がお決まりのようにジョン追悼のBGMになってしまったのがイヤでイヤでしょうがなかった。そんなにいいかあの曲? 確かに名曲っぽいが2〜3回聞けば十分だろうし、あの曲はレノンの外面でしかないと僕は思う。その点、「ジェラス・ガイ」を追悼ソングに選んだブライアン・フェリーの見識はさすがである。デイヴィッド・ボウイが、ティン・マシーンで「ワーキングクラス・ヒーロー」をカバーしたのも的確だと思った。

 
今回、ボウイが亡くなったあとのメディアの揺れ方はたいへん興味深かった。
 
訃報からすぐに、 いち早くキャメロン英首相が追悼声明を出したり、ドイツ外務省がベルリンの壁崩壊に絡めた気の利いたメッセージを出したりする一方、国内通信社のツイッターアカウントが「こんなに大きな影響力を持つ人とは思わなかった」とつぶやいて総スカンを食うという微笑ましいエピソードもあった。音楽仲間からのメッセージも心温まる感動的なモノが多く、生前のボウイの才能が名だたる才人たちからも尊敬され、その人柄がどれだけ多くの人から親しまれていたかということを浮き彫りにした。「あらゆる才能に満ちあふれた、いいひと(しかも二枚目)」。そんなボウイの音楽活動と存在は、しかし決してコンサバティブなものではなく、常に鋭い批評精神に裏打ちされた諧謔精神に満ちたものだった。特に70年代の彼は「メジャーなカルトヒーロー」として、一つの場所にとどまらないその「CHANGE」ぶりが注目されていた。そんなカルトがいつのまにかグローバル・カルチャーをすっかり「蝕んで」いたという事実に快哉を叫びたい気分だ。
 
個人的に一番恐れていた事態が、そこら中で「スターマン」か「ヒーローズ」、もしくは「レッツ・ダンス」などのヒット曲が鳴り響いて、ロートルファン一同が涙目で合唱してる…という、どう考えてもボウイ的ではない光景だったが、今のところそういう流れにはなっていないようで安心した。「イマジン」の悪夢再びは避けたい。ボウイはレノンほどわかりやすくない表現者だ。大衆メディアによる単純化、矮小化がしにくいのだろう。それがメディアの揺れの大きな要因だ。
 
■果てしなきボウイの「CHANGE」
ボウイに限らず70年代のロックミュージシャンは、「次は何をやらかすんだ」的な期待感に応えることが、一つの使命だったと思う。特にウッドストックを過ぎてロック共同幻想が崩壊したあとは、どれだけ人と違うネタを披露できるかが、ロックミュージシャンのアーティスト=芸人としての技倆を示す重要な指標となり、テクノロジー(機材、楽器)の進化と音楽産業の成熟がその流れを後押しした。そして新規に提供できるネタが尽きた時点で、事実上そのミュージシャンの存在意義も尽きた(もちろんその範疇ではないミュージシャンもいる)。ボウイの盟友マーク・ボランその死の思い出は以前書いた)の短い全盛期もその一例だったろうし、多くの“プログレ(進化)”バンドもそうだろう。そうした大競争時代を、今やワンパターンの権化であるボブ・ディランストーンズでさえ、あの手この手で生き延びた。その中でもボウイの「CHANGE」は群を抜く。ファンを置き去りにする劇的変化でかえってファンを虜にした。しかも現在から振り返ると、その後の音楽シーンを先導するような先進的な音楽性を次々に繰り出していった。アートと商品の境目がない、まるで最新の遠近両用レンズのような70年代のボウイの意欲的な作品群は、音楽ビジネスが転換期を迎えている今こそ、多くの人に聞いてもらいたい。
 
80年代の「レッツ・ダンス」は極めて音楽的完成度が高く、空前のヒット作となったが、これまで気持ちよく翻弄されてきたファンの多くは、その時代の流れを汲み取ったような“ 良くできた”サウンドスケープに「とうとうボウイも時代に追いつかれたか…」という悪い予感を抱いたはずだ。その通り、そこから彼の悪戦苦闘が始まる。開き直ったティン・マシーン(tin machine)の試みは痛快だったし、しばらくぶりにイーノと組んだコンセプト作『アウトサイド』や若いミュージシャンとドラムンベースに挑戦した『アースリング』なども面白い試みだった。21世紀に入ってから久々のトニー・ヴィスコンティを迎えた二作もなかなか良い出来で、衰えを知らないクリエイティビティを見せつけてくれた。にもかかわらず、私はどこか「こんなもんじゃないだろう」的な印象を、ずっとぬぐい去ることができなかった。いずれの作品も“理解を超える”スリルに欠けていたからだ。
 
 そんなわだかまりを「THE NEXT DAY」「★」という 人生のラスト二作で完全にぬぐい去ってくれたボウイ。サンキュー。でも、いくらなんでもカッコよすぎるだろ、こんな最期って。
 
 わだかまりはなくなったが、私の心もメディアと同じく大きく揺れている。まだ収まりそうもない。

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この最高の変則ロックンロールがヤードバーズへのオマージュだと気づいたのは大人になってからでした。

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自分の死に際して、こんな曲とPVを用意してしまったボウイには脱帽。帽子なんかかぶってないけどさ....。