プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

Struggle for Life 〜ソコソコの人生について〜

Struggle for Life

写真はハンガリープログレッシブロックバンドAfter Cryingのライブアルバム「Struggle for Life」。ジョン・ウェットンをゲストに迎えての“Starless”も収録されています(ジャケ画像をクリックするとAmazonへのリンクページへ)。

 
 

「汝この門より入る者、一切の望みを捨てよ」(ダンテ「神曲・地獄篇」より)

以前、若い歌舞伎役者の方とお話していたら、いくら技術の修練に励んでも歌舞伎の匂いが身に付かなければダメなんですよ、というような話になった。その人は名家の御曹司であって、そうではない、たとえば商家や勤め人家庭に育った人はいくら修行を積んでも、本当の意味での歌舞伎役者にはなかなかなれませんよ、というニュアンスを感じた。不思議に嫌な感じはせず、私は実にすっきりと彼がいうことに同意できた。また、こうも言った。「自分が伝統から外れた新奇なことをやっても、私がそれをやれば新しい伝統が生まれたことになるんです」。こういうことを言う若い人がどんどん増えれば、世の中がちょっとはマシになるかもしれない。しかし、若い人というのは基本的にそういうことを言えないし、言う人がいても単なる勘違い野郎というケースが殆どだ。

歌舞伎のような伝統芸能ではなくても、世の習いとはそうしたものだ。高校生になってソコソコのサッカー選手は、生涯ソコソコ以上はいかないし、数学やら、音楽もそう。お金儲けのセンスもそうかもしれない。文章関係は20代までになんとかすればなんとかなるかも。それ以降の努力によっては「ソコソコ」までは到達できるだろうが、その先にいくのは難しい。しかし、いろんな分野でソコソコにしがみついて生きている人は多い。というか、殆どの人がそういう一生を送ることになる。もちろん私もそうだ。でも、それでも生きている間に幾ばくかのドキドキするような体験をし、得も言われぬ風景を見ることができる。上出来じゃないか。が、何か一抹の割り切れなさは残る。40代になって、結局、自分の一生は失敗だったかもしれない、という淀んだ思いに駆られる人は少なくないだろう。それでも人は生きていける。一日一日を、瞬間瞬間を、やり過ごす術をその人なりのStruggle for Life の中で身につけてきたからだ。

 

天気も良いし、釣りにでも行くか。魚は水に漂い、えさを追い、パクッと食うだけだ.。