プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

わがソドムへようこそ

ほうせんか・ぱん (白泉社文庫)

ソドムゴモラの叫びは大きく

またその罪は非常に重いので

私はいま下って

私に届いた叫びのとおりに

すべて彼等がおこなっているか

どうかを見て

それを知ろう

大島弓子『わがソドムへようこそ』)

大学4年の春、社会に出る前に裏社会について見聞を広めようと思った。裏とはいっても社会は社会。社会人として知っておくべき事柄がそこにはたくさんあるように思えた。そこで就職活動卒論準備の傍ら、やくざ社会をバックとしたり、あるいはその種の社会に寄生している”企業“でアルバイトをしてみたり、その後世間を大きく騒がせた新興宗教の学生アジトに潜入したりしていた。それほど危ない目に遭わなかったのは、あくまでも傍観者であり、最終的には慎重な性格であったためだろう。一度チンピラに組事務所に連れ込まれたこともあったが、親分が「カタギの学生さんに手出すんじゃねえ」とチンピラを一喝したおかげで無事であった。その一部始終、私は小便チビリそうになりながらも、妙にわくわくしていた。やばいバイトでは警察署にしょっぴかれそうにもなったが、”先輩“たちの根回しのおかげでうまく逃れた。アブない世界と警察は、実は仲が良いのである。あと、警察官は柄の悪い公務員なのだということがよくわかった。潜入した新興宗教のアジトは、なかなか和やかな雰囲気だった。神や善悪についてディスカッションをして洗脳ビデオを見せてもらったが、そこに居る間中、私は笑いをかみ殺すのに苦労した。いわゆる善と悪の二元論で、どうやったらこんなシンプルかつ奇妙な世界観によって、生き方を選ぶことができるのであろう。逆に感心してしまう(すぐに企業社会だって似たようなものであることを実感する)。信徒たちは全員とても性格が良さそうな人ばかりで、性格が良いということが人間にとって、実はあまり好ましくないことなのではという思いが湧いてくる。オレはこのままでいいのだ。梅雨が開け、夏がやってくる頃、私は晴れ晴れとした気持ちで就職活動を本格化させた。今から30年ほど前、バブル経済が始まりかけていた頃、私が大島弓子山岸涼子のマンガを手放せなかった頃の話である。