普通に生きるための覚え書き
ただ一群の文学者たちのうわずった、気狂いじみた、地球の滅亡を憂えうるといった最大限の嘘と喧噪に、できるだけむきにならず「現在」の現象のひとつとしてからかいの対象にしたかった。つまり真剣にからかったのだ。わたしは、そのために大事な知己たちを失ったが、そのかわり少数の人々がいなかったら「現在」から流れ去ったであろうものを、棹の先にひっかけることに寄与できたとおもう。
(吉本隆明『マスイメージ論』あとがき より)
なぜ吉本が「大事な知己たちを失」いながらも、からかわなければならなかったかを考えることは、少なくとも現在を生きる意志を持ち続けたい人にとっては大切なことであろう。いわゆる文化人は未だ文化を囲い込もうとする本能から逃れられないようだが、地に足をつけた野人はその粗製の檻(フィクション)を破ることを自らに課す。なんのために? 自分の歩く道を進むため。そして仲間の歩く道を守るために。その仲間は必ずしも、自分と行き先を共有するものではない。それでも、かまわないのだ。普通に生きることの難しさ。