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プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

開高・三島、そして戦争を知らない子どもたち

フィッシュ・オン (新潮文庫)



 最初にいっておくと、この一連の文章には結論はないし、それどころか明確な論旨さえない。最近、「戦争と平和」「生と死」について考えたことをそれほど脈絡を気にせず、なんとなく結びつけながらまとめただけのモノである。私以外の人が読んで面白いかどうかは自信がない。たぶんそれほど面白くはないだろう。

 

「サケ釣りにきた。状況は?」

小説家がたずねる。

「わるくない」

おやじがつぶやく。

「穴場はどこ」

「あとで教えてやる」

「部屋は?」

「三階だ。台所をぬけたら階段だ」

「鍵は?」

「ないね」

「部屋の鍵よ?」

「ないね」

開高健フィッシュ・オン』アラスカ より)

 

 

 多くの釣り人から賞賛を浴びる開高健の釣りエッセイだが、私はそれほど面白いと思ったことはない(巧い、とは思う)。そして、この人の文筆家生命は、ベトナム従軍で終わったのではないかと思うことがある。泥沼の戦地で自分と他者の生命の儚さを凝視し続けた激烈な体験は、ナイーブな青年の心中にあった文筆活動を展開する意志の核心を押しつぶしてしまったのではないか。釣りエッセイからもそうした喪失感のようなものは伝わってくる。それが文学だといわれると、そうですか、というしかないのだが、よく言われるとおり、開高にとって釣りは戦争体験の心の傷を癒すリハビリでもあったのだろう。

 

 大江健三郎とともに若手作家として華々しく活躍していたベトナム従軍以前の作品は、昔、愛読した。しかし晩年、すっかり大物と化した開高健のマスイメージを見ていると、屋根のないガレージに駐められたメルセデス・ベンツのような気恥ずかしさを感じたものだった。今の大江にも全く別の観点から同様な印象を抱くのではあるが。

 開高の死からほどなく、ベルリンの壁崩壊とソ連解体という世界史的節目が訪れた。だが、日本人にとっての時代の大きな変わり目は、同じ時代に並行して進んでいた昭和天皇世代の退場と戦後生まれの台頭によってかたちづくられていったのではないか。言い換えれば歴史性が次第に欠落していく社会の中で、日本人に大まかな2層の精神的な脈絡が生まれてきた。現総理大臣もそうだし、彼に敵対しようとする人々もそうだが、歴史性が欠落した人格ほど、歴史に拘泥する(しかし、真の意味で知ろうとはしない)様子は、なにか、一幕の出来の悪いコントを見る様にお尻がざわめくのである。端的に言えば、戦争と平和について意味があることを言える人がいなくなったな、ということだ。もちろんジェネレーション・ギャップは、パピルスの時代から存在したものではあろうが、同時代的に目の前でそうしたムーブメントが拡大する様を見る心持ちは一種独特にむず痒いものである。

 一方でいまから45年ほど前にこんなことを書いている人がいた。

私はテレヴィジョンでごく若い人たちと話した際、非武装平和を主張するその一人が、日本は非武装平和に徹して、侵入する外敵に対しては一切抵抗せず皆殺しにされてもよく、それによって世界史に平和憲法の理想が生かされればよいと主張するのをきいて、それがそのまま、戦時中の一億玉砕思想に直結することに興味を抱いた。一億層玉砕思想は、目に見えぬ文化、国の魂、その精神的価値を守るためなら、保持者自身が全滅し、又、目に見える文化すべてが破壊されてもよい、という思想である。

戦時中の現象は、あたかも陰画と陽画のように、戦後思想へ伝承されている。

三島由紀夫『文化防衛論』より)

 この『文化防衛論』という文章は全体(特に後半部)としては三島独特の天皇論が展開されており、なんじゃらほい?という感じなのだが、上の引用に見られる今も通じる鋭い洞察もあって面白い。死んでもラッパを離さない日本人。民主主義って何だ?

 

 そういえば、開高健は私の父と名前と生年、出身地(大阪)が同じで、出身大学(大阪市立大学)も一緒。しかもともに酒好き。しかし、互いに一面識もなかったらしい。開高氏はほとんど大学キャンパスに足を運んでいなかったが、父は奨学金をもらう真面目な学生だったからである。今月、一周忌を迎える。