プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

戦後70年らしい。

 今年は戦後70年らしい。数字の切りが良ければ良いってもんでもなかろうに。
この時期になればメディアは戦争に関する話題が増えてくる。今朝のNHKニュースで世論調査の結果「原爆投下日を7割が不正解」というニュースが流れていて、へえ、と思った。原爆が投下された広島、長崎でさえ50〜60%、全国平均だと30%に満たない。まあでも、学校のテストじゃないんだから日付なんてどうでもいいよね。「9.11」とか政治的スローガンみたいで、ちょっとイヤだもんね。だいたい大切なのは原爆が落とされたという事実を後世にしっかり伝えることなんだから。正確な日付を答えさせるなんていかにも元優等生だったNHK社員の発想だよな。……しかし下の引用部分にはちょっと驚いた。

NHK世論調査 原爆投下日を7割が不正解 NHKニュース http://nhk.jp/N4KY4Gj6

 

さらに、「アメリカが原爆を投下したことについて現在、どう考えていますか」と聞いたところ、「今でも許せない」と答えた人は、広島で43%、長崎で46%、全国で49%でした。

一方、「やむを得なかった」と答えた人は、広島で44%、長崎で41%、全国で40%で、広島では、ごく僅かですが、数字の上では「やむを得なかった」と答えた人が、「許せない」と答えた人を上回りました。

 

 「原爆投下がやむを得なかった」という啓蒙・教育がされている米国人ではなく日本人がなぜ「やむを得なかった」と思うのか。しかも広島と長崎で4割以上の人々が、である。あの“結果”がやむを得なかったとは、単なる無知で片付けられない根の深さを感じる。それは黒船以降の日本人のトラウマ=メンタリティかもしれないし、戦前の国体護持が憲法9条護持に反転してしまったかのような現代日本のネガな政治状況なのかもしれない。そこらへんの筋道が僕の頭では理解できないので、以下略。


さて、原爆投下&終戦の8月はメディアの戦争ネタが尽きないのに、3月10日は、今や東日本大震災「3.11」の前夜としか認識されないのが残念だ。もちろんこの日は約10万人が死んだ東京大空襲の日である。私の親族はこのあとの4月の空襲に遭遇し、逃げ惑った経験を持つ。たまたま大阪から出張に来ていたそうだ。半世紀を経て阪神淡路大震災にも遭遇した。その後、齢九十の大往生。今は京都の寺で眠っている。また、わが家は多摩地区だが、近くに所沢飛行場や大和田通信基地があったため、子どもの頃は不発弾がひんぱんに発見されていた。だから焼夷弾ということばは幼稚園の頃から知っていたと思う。

閑話休題

東京大空襲には広島や長崎のようにシンボル的な建造物がない。しかし台東区墨田区江東区を中心に東京都内には多くの犠牲者の慰霊碑がある。東京の、特に下町は少し気をつけて町を歩いていると、こうした慰霊碑やなんらかの空襲の痕跡にしばしば遭遇する。被害が大きかった両国にある都立横網公園には関東大震災の犠牲者とあわせた「東京慰霊堂」と「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」というなかなか立派な施設があり、碑の内部には「東京空襲犠牲者名簿」が納められている。毎年3月10日には大法要が行われているがせいぜいローカルニュース扱いでしかない。東京大空襲は、広島・長崎の原爆投下に決してヒケをとらないジェノサイドとしての性格を持つ残酷な所業だった。東京都民の方だけでも当日それぞれのやり方で祈りを捧げていただけると嬉しいです。

僕は、現代日本は安全保障や経済政策の面で米国と協調してやっていくべきだと考えるが、70年前の原爆投下と東京などの焼夷弾爆撃が、米軍の許し難い戦争犯罪である事実は動かせないと思っている。それはまったく別の問題だ。そこらへん耳を傾ける余地があるかもしれないオバマ政権の間に政府がなんらかのアクション(オバマ広島招聘など)を起こせるといいだけど….。という悲観的希望で文章を終えねばならないのが、われながら情けない。けど仕方ない(←これこそ日本人的メンタリティー)