プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

【麻薬的誘惑に満ちた歴史エッセイ 〜殿様の通信簿 (新潮文庫) 磯田 道史〜読後雑感】

Amazon.jp 殿様の通信簿 (新潮文庫) 

http://www.amazon.co.jp/dp/4101358710

 

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近年はメディアにも引っ張りだこの歴史学者の磯田道史さん。
この世に歴史学者は数多くいるが、この人ほど「歴史を生き」ている人は数少ない。
出世作の「武士の家計簿」からして、その地味なテーマを膨大な史料を自在に操りながら
まるで見て来たかのように(あるいはその時代からタイムワープしてきたかのように)語り、
知らず知らずのうち、読者を時を超えた向こう側の世界に引っ張り込む。

この『殿様の通信簿』は一読、軽いエッセイ風の読み物だ。
全体の印象は海音寺潮五郎の歴史エッセイに少々似ているかもしれない。
ところが軽く読めるわりには、読後にずっしりとした感懐が胸の中に残る。
その感懐の正体を知りたくて、再び読み終えたばかりのページをめくってしまう。
そんな麻薬的誘惑に満ちた歴史エッセイを読んだのはほんとうに久しぶりのことだった。

本書は「水戸光圀」、「浅野内匠頭」らの真の姿が、
幕府隠密の大名レポートとされる『土芥寇讐記』の記述をベースに語られる。
著者が目にした他の史料や自らの体験などを織り交ぜつつ、
重層的にリアリティを積み重ねていく論の進め方は殆ど小説に近い。
しかし、小説とは異なり、すべての論に何らかの典拠が示される。
その典拠の示し方にもいちいち芸があって面白い。
大名ひとり1章が原則だが、加賀百万石の礎石を築いた前田利常だけは
三章にわたって詳しく語られている。
江戸時代における大名というものを考える時、
著者が幕府と緊張感のある対峙を続けたこの複雑な性格の殿様の存在を、
ひときわ重要視したのも頷ける。もっとこの殿様について知りたくなった。

また、この一冊の影の主人公は「徳川家康」ではないかと思った。
それは最後の1章に、家康の無二の忠臣だが、大名ではなかった
鬼作左こと「本多作左衛門(重次)」をとりあげたことからも
推察できるのではないだろうか。著者に訊ねてみたいところである。

著者は東日本大震災後、それまで務めていた国立大学を自ら辞し、
将来、南海トラフ地震が発生した場合、
甚大な被害が想定されている静岡の大学にわざわざ転職している。
そして江戸時代の防災などに研究の軸足を移して、
歴史学者にしかできない社会貢献・地域貢献を志向されているらしい。
『殿様の通信簿』前書き中で、著者は不自由なく暮らしている現代人は
一種の「殿様」でもあるとさりげなく指摘している。その通りだろう。
この人が江戸時代の大名だったら、きっと「名君」としてその名を残したに違いない。