プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

日経に「星空楽しむ「宙ガール」急増中」のコラム書きました。

12/7付日経夕刊に掲載された「宙(そら)ガール」の記事が、誰でも読めるNikkei Styleに転載されました。見出しは本紙よりこっちの方がマトモになって良かった(^^;) ちなみに一昨夜は「ふたご座流星群」がピークだったようですが、具合が悪くて観測できず...。

 

style.nikkei.com

 

『花の命はノー・フューチャー ─DELUXE EDITION 』(ちくま文庫)を読んだよ。

 

花の命はノー・フューチャー: DELUXE EDITION (ちくま文庫)

花の命はノー・フューチャー: DELUXE EDITION (ちくま文庫)

昨夜〜今日のお昼までは風邪?で寝たきりに近かったので長らく積ん読しておいた本書を読んでいた。たまには風邪をひくのもいいものだ。
英国ブライトンの貧民街に住む鬼才コラムニストの著者のデビュー作で、単行本は発売直後に版元が倒産するという不幸に見舞われた。

僕と同世代かちょっと上のロック好きは80年代に「このクソったれの日本を逃れてロンドンで夢を掴もう」みたいな発想をする人がけっこういて、何を隠そう僕も20代後半にちょっとそんなことを考えていた。結局、安定志向の女性と結婚してしまったのでその目論見は頓挫したが、とりあえず新婚旅行はロンドンに行った。

セックス・ピストルズに傾倒した福岡の女子校生だった著者は、すべてを振り切って単身渡英した。旅立ちの空港でろくでなしの父親に渡された手紙に書かれていた「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」という林芙美子が好んだ短詩が本書の題名の由来だ。

 

第2章 ジョン・ライドン編までが単行本収録分で、その後の第3〜4章のおよそ200ページ分が文庫での追加収録。だからDELUXE EDITIONというわけ。本編より追加収録の方が多いのはCDでも良くあるよね。

 中身は著者が身近なワーキングクラスのリアルな生活と人物が活写された短いエッセイ集で、クールでな視線でネガティブな現実が実に清々しく、渇いたユーモアや哀感とともに語られている。

単行本収録分の2章までの文章は荒削りだが妙な色気があり、3章以降(著者のブログ記事も含まれている)は個性的だが練れた文章で実に読ませる。ほとんどが個人的な生活感や音楽の話題だが、一編だけブレア政権でアイルランド和平に力を尽くし「ベルファスト合意」に持ち込んだ立役者である元北アイルランド担当相Mo Mowlam女史の人生を綴った一文がある。彼女の人生は英国でテレビドラマになり、高視聴率を誇ったというが、著者の一文も実に魅力的な人生を描いている。この一文を読むために本書を購ってもいいくらいだ。

著者は本書出版後、子供を産み、保育士の資格を取り、現在もブライトンの貧困家庭の子供の面倒を見る保育士として働いている。そこらへんは旧著『アナキズム・イン・ザ・UK――壊れた英国とパンク保育士奮闘記』に書かれているらしい。
近年は『子どもたちの階級闘争』『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』などで日本の出版賞を多く受賞しており、2017年に書き下ろした『いまモリッシーを聴くということ』は僕の個人的必読リストに入っている。日本のメディアで政治・経済面でのオピニオンも数多く発しており、多くの文化人から支持もされて文筆家としての名声を確立した感もある。

 

しかし名声を得た現在も、ブレイディみかこさんは保育士として貧しい子どもたちと社会の矛盾に向き合い、一方でブライトンの貧民街に癌サバイバーでトラック運転手のアイルランド系配偶者と息子さんとともに暮らし、夜中にパンクロックを大声で歌ってしっかり者の中学生の息子さんにたしなめられる……という変わらぬパンクな人生を過ごしているらしい。GOD SAVE THE みかこ!

ドルジェル泊の舞踏会を新訳で読んだよ。

ドルジェル伯の舞踏会 (光文社古典新訳文庫)

ドルジェル伯の舞踏会 (光文社古典新訳文庫)

 

フランス心理小説の極北であり終着点、小林秀雄堀辰雄三島由紀夫らに大きな衝撃を与えた『ドルジェル伯の舞踏会 』。三島の『盗賊』はこの作品のオマージュだろう。

新訳が出ていて、なんと従来の作者の死後にジャン・コクトーらが手を入れた「初版」ではなく、ラディゲが病床で校正した「批評校訂版」を底本とした初の翻訳ということなので、さっそく読んでみた。コクトーらは校正・校閲を超えた改編を行った可能性が指摘されており、本作とコクトーとラディゲの合作と言い切る研究者もいるぐらいだ。


前に新潮文庫版を読んだのは仏文科の学生だった40年近く前なので、ディティールは忘れているが、確かに「あれ?(こんな記述あったかな?)」と思う箇所がいくつかあった。今後はこちらの版が本作のスタンダードとなっていくのかもしれない。翻訳文はとても読みやすい。

光文社古典新訳文庫はどれもそうだが、解説も思い入れたっぷりで読み応えがある。次は大学の先輩である中条省平氏が訳した「肉体の悪魔」の新訳も読んでみたい。

承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書)雑感。

 

承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書)

承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書)

 

先日の新天皇即位で古代天皇制の終焉としての承久の乱に思い至り、先週から本書を読み始めたのだが、読書に集中できる時間がなかなか取れず昨夜ようやく読み終わった。乱の背景となる院政と武士の勃興から語り起こし、後鳥羽院源実朝の人となりと政権から乱の経緯、さらにその余波までを、根拠となる資料を示しながら一般にもわかりやすく解説している良書だった。

僕の歴史知識の古さも思い知った。いちばん目を開かされたのは源実朝の実像である。これまでは文弱のお飾り将軍と思い込んでいたのだが、18歳から将軍親政をスタートさせ、当初は重臣たちに侮られながらも、和田義盛の乱などでリーダーシップを発揮し、北条義時の横暴な要求をきっぱりと拒否するなど「将軍として十分な権威・権力を保ち、幕政に積極的に関与していた」(本書・はじめに)。

実朝の横死後に勃発した承久の乱は、北条政子の演説により関東武士たちが一つにまとまったわけだが、その過程ではどちらが有利か洞ヶ峠を決め込んでいた有力武将もいた。近代以降語られる妙に道徳的な武士道とは異なる、生き残るためのリアルな(ビジネスやスポーツの駆け引きにも似た)武士道がここに息づいている。

一方の後鳥羽院はオールマイティな才能を誇る名君で、武士の棟梁でありながら宮廷文化にも造詣が深い実朝に信頼を寄せ、幕府と朝廷はきわめて親密な関係にあった。それが実朝の死によって一気に暗転する。だれが愚かだったわけでも、悪いわけでもない。歴史の歯車がカチリと音を立てて進んだまで...と言うしかないだろう。

そうはいっても、文化的レベルが極めて高い後鳥羽院と将軍実朝の二人の王権=協調政治が数十年続いていたとしたらとしたら....という歴史の「if」の誘惑から逃れられそうにない。

それにしても近年の一般向けに書かれた新書の中世史本の充実ぶりはほんとうにうれしい。大河ドラマも露骨なオリンピック広報なんかやらずに、この時代の面白いドラマを作ってほしいな。

日経に「男と女の尿もれ事情」について書きました。

https://style.nikkei.com/article/DGXKZO51382800V21C19A0W10600/

style.nikkei.com

 

日経新聞NIkkei Plus 1に「尿もれ」についての健康コラムを書きました。男女で異なる尿もれの原因についてまとめております。

首里城炎上に思う。

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"Photo by CEphoto, Uwe Aranas"

首里城は10年ほど前の沖縄出張の際に訪れた。再建とはいえ、往事の趣を伝える見事な建築と収蔵品でとても楽しめた。ただいちばん思い出に残っているのは、鎖之間で琉球の伝統菓子をいただいたこと。あの場所も燃えてしまった。伝統衣装を着たスタッフによるなかなか気持ちの良い“おもてなし”空間だった。

今回焼失した首里城の施設はほぼ平成の時代に再現された観光施設と考えて良いだろう。観光施設だから価値がないわけではなく、再建に当たって発掘調査や写真資料収集、古老の聞き取りなどを行い、正確な復元・再現が試みられた。しかし、かなりの困難がともない、再建後に誤りが発見された部分もある。たとえば Wikipedia「首里城」の項目を見てみると次のように書かれている。

 

屋根瓦については色についてさえ記録がなく、当時を知る老人を集めて話を聞いても赤~黒まで意見がバラバラで難航した。すでに琉球瓦を生産しているのは奥原製陶ただ1軒だけであり、4代目主奥原崇典の尽力によって首里城の瓦が復元された[8]。なお、2014年に米国立公文書館から沖縄戦で焼失前の首里城のカラー映像が発見されており、それによると屋根瓦は赤色では無い事が判明している[9]

 

今回の焼失は1453年、1660年、1709年、そして1945年の沖縄戦による焼失に次ぐ、史上5度目の焼失だという。沖縄の人々の悲しみははかりしれないが、屋根瓦の色など最新の研究成果と十分な防災措置を盛り込んだ5度目の再建=再現を果たすことに期待したい。もちろんそれには時間がかかるだろうから、コンピュータ・グラフィックやVR技術を駆使したバーチャル首里城を暫定的につくっても良いと思う。

そういえば、現在の首里城の場所はかって琉球大学のキャンパスだった。流大の人文社会学琉球アジア文化学科あたりが、工学部の研究者と連携して首里城再建プロジェクトをやってもなかなか面白いと思うのだが、どうであろうか。

すでに沖縄大学の学生が主催する首里城火災支援のクラウドファンディングも立ち上がったようだ。500円から募金できる。

japankurufunding.com




ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実 <新装版> ジェフ・エメリック

ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実

ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実

 

Abbey Road』のリマスター版を買ったせいもあり、今月はビートルズを良く聞いた。

今聴くとスカスカでシンプルなビートルズサウンドだが、半世紀近く聴いていても、その隙間から未だに新発見が顔を覗かせるからすごい。ジェフ・エメリックは、メンバーの(特にポールの)クリエイティビティが高まった中期〜後期ビートルズにおいて、ジョージ・マーティンとともにテクニカルサイドからそのマジックを構築した人物。エンジニアの立場からビートルズの当時の内部事情を赤裸々に描いた本書は刊行当時話題を呼んだ。どちらかといえばポール擁護派の著者なのだが、ポールに関しても忌憚のない意見が書かれているし、ジョンの凄さも素直に感嘆している。そんなエメリックも1年前に亡くなってしまった。


ビートルズ初期の2枚「Please Please Me」「With the Beatles」は、コーラスを含めて、ほとんど一発録り、スタジオライブといえる作品だが、このバンドがデビュー当時から“完成“していたことに今更ながら驚かされる。特に当時22歳であったジョン・レノンの老獪とさえいえる歌いぶりはすごい。この時代のエンジニアはノーマン・スミス。後にシド・バレットが抜けたピンク・フロイドサウンド構築に関わった人物である。彼は聞き手の意識を盤面に吸い込むライブ感の演出が得意であった。ビートルズは「あの4人」がグループを組んだことも奇跡に近いが、ベストなタイミングで優れたスタッフが近くに居た僥倖を思うと、なんだか言葉を失う。

ビートルズはいつまで経っても僕にとっての「謎」なのだ。