プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

『悪童日記』を読んだよ。

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

 

読もう読もうと思ってなかなか読めない本を出張の機会に読むことが多い。出張中はほとんど残業というか、夜の用事がないのでむしろ読書が捗るというわけだ。

今回はこの『悪童日記』。続編である『ふたりの証拠』と『第三の嘘』とともに三部作を構成している。もう10年近く前から読もうと思っていて、その間に映画化もされた。

 

あらすじはこんな感じ。

<大きな町>に住んでいた母親が双子を連れて<小さな町>に住む実母(双子にとっては祖母)のもとを訪れ、二人を託す。夫を毒殺したという噂がある祖母は魔女と呼ばれており、不潔で、吝嗇。子供に対しても働かない限りは食事を一切あたえない。祖母の家の部屋には占領軍の将校が下宿している。隣人には兎口の女の子と目と耳が不自由らしきその母がいる。生と死、さらに性の不穏な匂いがする中を双子たちは才覚を発揮し、協力しながら逞しく生き抜いていく。そして〈解放者〉たちの到来….

 

戦時下と戦争が終わった後のシビアな状況を生き抜く双子の男の子の物語。舞台となる国や街の具体名は出てこないが、おそらく作者が子ども時代を過ごしたハンガリーオーストリアとの国境付近の街だろう。といっても反戦小説ではないと思う。原題のLe Grand Cahierというのは「大型のノート」というような意味で、小説そのものが男の子たちが自分の日常を日記のように記した短い断章(文庫本で4~5ページ)が重ねられて物語が進行する。日記にはわかりやすい叙情や主観が一切見られない。二人は作文に当たってひとつのルールを厳格に守る。それは「作文の内容は真実でなければならない」というルールだ。出来事がその起きたとおりにたんたんと記される。….はずなのだが、読者は読む進むにつれていつの間にか行間のドラマの間に翻弄されていく。悲惨な出来事が連続するにもかかわらず、最後には爽快感さえ感じる不思議な読後感。見事としかいいようがない小説だ。Le Grand Cahierは「偉大な記録」とも解釈できるかもしれない。

作者はハンガリー動乱の際に夫と西側に亡命した女性で、詩や劇作を同人誌に発表するなど文学活動に勤しみ、母語ではないフランス語で書いたこの作品が初めての小説作品。2011年に亡くなるまで三部作の他、やはりフランス語による長編と短編集の2冊を出している。

 

もうほんとうに、今まで読まずにいて大後悔。春までに出張案件が続くので、続編2作も読んでいきたいと思う。

お正月に江戸川乱歩の異色作『十字路」を読んだ。

 

十字路 (江戸川乱歩文庫)

十字路 (江戸川乱歩文庫)

 

戦後になって、少年探偵団シリーズばかり書いていた乱歩が模索して書いていた大人向け作品に『化人幻戯』『影男』(明智小五郎の最終作)などがあるが、この『十字路』も同時期の作品。僕は江戸川乱歩全集を中高生時代に読破したので、この作品も当然読んでいるのだが、記憶はほとんどない。

 

で、読んでみた。

戦前の乱歩作品にあったケレン味はほとんど感じられず、テンポの良いサスペンスドラマがスピーディーに展開されていく読み味は、悪くはないけど物足りない。実はこの作品、純粋の乱歩オリジナルではなく、渡辺剣次という人が筋書きやトリックを考えたラフな第一稿をもとに、乱歩が書き直すという形式で完成させたらしい。

いわゆる倒叙形式の作品で、犯人が犯罪を成し遂げ、その後追い詰められていくサスペンスは、さすが乱歩先生、なかなか上手く描かれている。「もうひとつの死体の出現」「死体の隠し場所」のトリックも面白い。ただ、かなり偶然とご都合主義が大きなポイントになってしまっているのが気になる。かといって乱歩らしい不合理な謎があるわけでもない。まるで現代のテレビの2時間サスペンスドラマのようで、映像化したら面白いかもと思った。実際、渡辺剣次の脚本で『死の十字路』として映画化されているようだ。主演は三国連太郎新珠三千代。さらに1980年には天知茂岡田奈々によるテレビドラマ化もされている。ほんと、そういう作品です。乱歩作品をほとんど読んだ人が最後に読むのがいいのかもしれません。

 

有楽町の元パンパンと敬虔なクリスチャン女性記者と父

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有楽町のパンパン

 

 

年末になると思い出す父のエピソードがある。今年はある有名な報道カメラマンのセクハラ騒ぎもあって余計にそのエピソードを思うことになった。

 

4年前に84歳で死んだ父は、元朝日新聞社経済記者で、40代前半からは編集委員という肩書で自分が関心を持つテーマで署名記事を書く仕事をしていた。主に追っていたテーマは国鉄民営化や林業問題、エネルギー問題などだ。そんな本筋の記事以外にも、時折肩の力を抜いた世相を論じるコラム記事も書いていてけっこう本人も楽しみにしていたらしい。

 

僕が大学に入学した年、そんなコラム記事が今で言う「炎上」したことがあった。そのコラムタイトルは「売春観光に思う」。当時社会問題になっていた日本人の東南アジアでの買春ツアーを取り上げたもので、戦後の“パンパン”が米軍人相手の売春でドルを稼いで経済復興に貢献した過去に思いを馳せつつ、金持ちになった日本人がアジアにとどまらず世界各国で買春するようになった「一国の経済力の消長の反映」について戦中派としての感慨を記した文章だ。このコラム欄に関しては編集局長から「少々羽目を外してもよい」と言われていたそうで、冒頭近くからこんな一節を記している。

 

「ご婦人がいかに柳眉を逆立てて国際売春を糾弾しようとも、富んだ国と貧しい国があり、富んだ国に男が、貧しい国に女がいる限り、国際売春は決して絶えることはないだろう」

  

また、こんなことも書いている

 

「彼女ら(引用者注:パンパンのこと)は日本に貢献した。日本人は感謝のために彼女らが多数出没した東京・有楽町あたりに碑を建てるべきかもしれぬ」

 

コラム発表後、父のもとに読者からの投書が殺到した。そのほとんどが「柳眉を逆立て」たご婦人からのもので「買われる女たちの痛みをよそに経済原則を振り回す男の冷酷さ」を糾弾するものだった。読者だけでなく、社内の女性編集委員が父のコラムを厳しく批判する記事を書いた。曰く「おぞましき性侵略を『経済力の消長の反映』と正当化するのは強者の論理」だと。女性編集委員の糾弾の矛先は父の記事を面白がって読んだ朝日の男性記者たちにも向けられ、その余波で何人かの記者が「少々羽目を外し」交代で執筆していたそのコラム欄が廃止されてしまった。父は自分はともかく他のライターの仕事を奪ったことを後悔した。まじめな女性をからかうものではない。女性編集委員は敬虔なクリスチャンでもあったそうだ。

 

そんな騒ぎは晩秋のころで、あまり愉快な気分で年の瀬を迎えられなかった父のもとに、突然一通の現金書留が送られてきた。中に2万円が入っていた。しばらくして記者クラブの父のデスクの電話が鳴った。現金書留の送り主である女性だった。

 

「二万円を受け取っていただけたでしょうか」

「これ何ですか」

「お礼なんです。あなたは有楽町に立っていた私たちのことをほめてくださった。うれしく思います」

「いや、新聞記者は読者からお金をいただくわけには参りません。お返ししますから.....」

「でもその住所も、私の名前もウソでございます。私をお探しなさいますな。私には近く結婚する娘がいます。では、さようなら」

「ちょっと待ってください」

(がちゃんと電話を切られる)

 

父は2万円入りの現金書留を編集局長のところに持って行く。同期入社でもある編集局長はうなづきながら話を聞き「そのお金はもらっておこう」と自分のデスクの引き出しにしまいこんだ。父は有楽町に出て自腹で楽しい酒を飲んだ。その後、引き出しの2万円は新聞社主催の年末のチャリティー募金に匿名で寄付されたということだ。

 

ここで話が終わればほっこりとした冬の美談だが、まだ続きがある。

 

7年後、父は日本記者クラブ賞を受賞した。授賞式のスピーチで、かつて国際売春のコラム記事で同僚女性編集委員にきびしく筆誅をくらったことをとりあげ「私は国際売春の是非を論じたものでなく、放っておけばそうなるという人間のサガを指摘しただけなのです」といらんことを言ってしまった。

 

さらに知床原生林伐採問題や売上税(消費税)導入問題でも世論に逆らった論陣を張って反対意見が殺到したことを振り返り「つくづく『正義の味方、月光仮面のような勇ましい記事を一度は書いてみたい」などとますますいらん皮肉を言ってしまった。おそらく大阪人的なサービス精神と反骨心が入っていると思う(ちなみに知床露原生林問題で伐採賛成派の父は、やはり同僚編集委員で伐採反対運動にかかわっていた本多勝一氏にその著書の中で名指しで厳しく批判された)。父のスピーチ内容を知った女性編集委員はもちろん激高し、その結果、ある雑誌にこんな寄稿をした。

 

「『富める国の男が貧しい国の女を買いに行くのは経済法則だ』と同じ新聞で私に公然と反論を書いた経済部ベテラン記者に社内の男性たちは喝采を送り、彼はその後日本記者クラブ賞まで受賞するという出世ぶりなのだ。(中略)女たらしで有名な記者は論説委員になりTVで活躍しており、アフリカで女を買いまくった記者は週刊誌編集長になり、女には目のない元特派員は部長になり、特派員時代は女遊びでKCIAKGBにマークされた記者もおり、政治家の同行記者団が大使館あっせんで赤線地帯に出入りしたり、『娼婦は素晴らしい。君たちエリート女などとは違う』と酒が入ると説教する社会部名文記者……」等々。

 

「経済部ベテラン記者」はもちろん父のことで「女たらしで有名な記者」は亡くなった筑紫哲也さんのことだ。この寄稿は他の週刊誌にも取り上げられ、個人名を特定されて朝日記者のエロっぷりを揶揄されてしまう。父は自分の不用意な発言でまたもや同僚にとばっちりがいってしまったことを後悔する羽目になった。以来、しばしば酒席で面白がって「国際売春記者」と父を呼ぶ人がいたという。故人の名誉のために言っておくと国際買春の経験は(たぶん)ない。「まじめなクリスチャンの女性を怒らせてはあかんよ」。ある晩、ビールでいい気持になって私にこう言った父の目の奥はやはり笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「私は高校野球というのが実に吐き気がするほど嫌いです」〜伊丹十三『女たちよ!』の思い出

女たちよ! (新潮文庫)

女たちよ! (新潮文庫)

 

 

自分がコピーライター、もしくはライターと呼ばれる仕事をするようになったきっかけはなんだろうと考えると、父親が本好きであったことがまず思い浮かぶ。わが家にはそこらへんの街の本屋より本があったし、団地住まいだった頃は家に入りきれない本を親戚や知り合いや倉庫などに分散して保管していたらしい。

 

そういう「環境」面も無視できないが、読むだけでなく「書く」ことに踏み出したきっかけはやはり自分自身が出会った何人かの文筆家、作家にあるのだろうと思う。北杜夫遠藤周作吉行淳之介といった「第三の新人」世代の作家、一世を風靡した庄司薫村上龍&春樹、橋本治などの名前が思い浮かぶが、決定的だったのは本職が文筆家ではない伊丹十三のエッセイ群だったように思う。

今日(12/20)は伊丹の命日なので、そのことについてメモ的に書いておこう。

『女たちよ!』は『ヨーロッパ退屈日記』でエッセイストとして注目された作者の第2弾である。でも僕はこちらを先に読んだ。1968年、いまから50年前の出版だ。その9年後、高校生の時に読んだこの本に、僕はすっかりやられてしまった。それから彼の著作をすべて読み漁った。当時は文春文庫で出ていたのだ。俳優として出ているテレビ番組もなるべく見るようにした。こういうタイプの人が日本にもいるのか、と思った。

 

俳優であり、グラフィックデザイナーであり、エッセイストであり、映画監督でもあり、英語に堪能、料理も上手。そんな伊丹のエッセイは徹底した「好き嫌い」という名の美意識で貫かれている。いわく「私は高校野球というのが実に吐き気がするほど嫌いです」「日本の西洋料理屋でおいしい野菜サラダを食べたことがない」「日本人に洋服は似合わない」「女と話をするのは(程度が低いので)苦手」などなど。「ですます」と「だ・である」を意図的に混在させる文章技法にも少なからず影響を受けた(ただこれを仕事の場とかでやると、野暮な校正者と喧嘩することにもなりかねないのでなるべくやらないようにしている)。文章は音楽と同様にリズムの自在さが命なのだ。

 

自分のこだわりや好みを語るエッセイは今やいくらでもある。伊丹十三山口瞳はそうしたこだわりエッセイの開祖みたいなものともいえるが、しかし後進たちは「好き嫌い」を実は仲間うちの団結の道具として使っている。それに対して伊丹の「好き嫌い」は相手を一刀両断する真剣だ。ここは決定的な差だろう。『女たちよ!』というタイトルの本ではあるが、ここで伊丹は従来の「オトコ」のあり方に意義を唱えているように思える。自分と同じオトコ、そして自分とは違うオンナに向けて「好き嫌い」の切っ先を突きつけている。「あんた、そんなつまらない生き方で大丈夫?」。そして目だけは終始ニコニコ笑っているのだ。これにシビれた。こういう文章を書く人になりたいな。英国ロック好きの高校生は心からそう思った。そういえば伊丹さんが自宅に留守電を導入したとき、待ち受け音楽に使ったのがレッド・ツエッペリン『胸いっぱいの愛を』だった。

 

「さて、ここでちょっと日本の洋食屋のスパゲティに思いをいたしていただきたい。茹ですぎたスパゲティの水を切って、フライパンに入れ、いろんな具を入れてトマト・ケチャップで炒める。しかも運ばれてきたときにはすでに冷え始めていて湯気も立たぬ。

 これをあなたはスパゲティと呼ぶ勇気があるのか。ある、というなら私はもうあなたとは口をききたくない。」(『女たちよ!』より)

 

日本のスパゲティ界に「アルデンテ」が普及した大きな理由の一つは伊丹さんのおかげではないかな?

 

『評伝 管野須賀子 ~火のように生きて~』を読む。

評伝 管野須賀子 ~火のように生きて~

評伝 管野須賀子 ~火のように生きて~

 

高校時代の日本史の授業で、自分が関心ある日本史上の出来事を調べて発表するという課題があり、僕は大逆事件を選んだ。当時、マルクス社会主義への興味が強くなっていたからだと思う。確か「足尾鉱毒事件」とどっちにしようか迷った記憶がある。


この事件は戦後になって明治政府によるフレームアップが言われるようになった。政府はこの事件の発覚を受け、当時増えていた社会主義者無政府主義者を一網打尽にしようと考え、事件の発覚〜容疑者逮捕〜裁判の過程で少なからぬ捏造もあったとされている。

高校生だった僕も、調べながら幸徳秋水や大石誠之助らが非常に気の毒と感じたが、「菅野スガ」に関してはあまり同情しなかったことを覚えている。しかしその「女」の妄執に裏打ちされた個性には強烈に惹きつけられた。

資料として書物からうかがえる菅野の抱えるルサンチマンは、この天皇暗殺の企てに大きな役割を果たし、幸徳らを巻き込む原因を作ったと高校生だった僕には思えた。魅力的な女性だが、刑死にふさわしい刹那的な生き方じゃないかと。

 

実はその印象は50代になった今、本書を読んでもそれほど変わらなかった。菅野スガ=管野須賀子は、明治という変転の時代の中で自らのルサンチマン社会主義無政府主義の“イメージ”の中に溶かし込み、政府による大逆事件のフレームアップに格好な口実を与えてしまった。彼女の意志は強烈だが、その考える社会の理想はひじょうにふわふわしたものであり、その政治活動は挫折を運命づけられているとしか思えない。

著者は菅野への深い愛情と冤罪を晴らしたい熱意を持って本書を書いており、そのことは本書に温かい読み心地を提供しているが、一方で菅野須賀子への人物批評がやや生ぬるくなっているとも感じられる。

史書としてはやや物足りない所以である。