プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

Love in Vain

聖書 新共同訳  新約聖書

お前は岩場の山羊が子を産む時を知っているか。

雌鹿の産みの苦しみを見守ることができるか。

月が満ちるのを数え

産むべき時を知ることができるか。

雌鹿はうずくまって産み子を送り出す。

その子らは強くなり、野で育ち

出て行くと、もう帰ってこない。

(『ヨブ記』39:1-4『聖書 新共同訳』日本聖書協会) 

4月から子どもたちが二人とも大学生になので(しかも一人は就活生)、親業の締めくくりが近いことを予感する。世間より聞こえてくる殆どの育児・教育談義がアホ臭いのは、大人(親)が「子が出て行く」ことを考えず、「手元に置く」「面倒を見てもらう」あるいは「いい親子関係を築く」ことを前提にしているから。親は子を捨て、子は親を捨てるのが自然。と、今日のところはそんだけの話でおさめておく。スマホを捨て、ブルースを聴こう。


Robert Johnson - Love In Vain Blues (Takes 1&2) (1937)

『ボブ・ディラン解体新書』 再読。

ボブ・ディラン解体新書 (廣済堂新書)

ボブ・ディラン解体新書 (廣済堂新書)

 

2016年度のノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン。先日、今年の夏にフジロックフェスティバルで来日することが大きな驚きと共に報じられた(もちろん僕も驚きましたです)。

そして、ディランをめぐるここ数年の流れの中で「彼」がどういう発言をするるかを聞きたいと思った。彼とは本書の著者である中山康樹さんである。

そこで2014年に出た本書を書架から引っ張り出してきた。

中山さんは、本書以前に「ディランを聴け!!」という労作をものしている。ディランのキャリアの中で発表されたほぼ全曲・全バージョンを批評したとんでもない本で、そこには批評家の鋭い視線とファンとしての深い愛情がごった煮され、まことに良い味を醸し出されていた。「アホな子ほど可愛い」。そんな言葉が思い浮かぶ本だった。悪罵さえも愛情に満ちあふれている(そういえば著者によるビーチボーイズ本も同様の筆致で書かれており、ずいぶん楽しませてもらった)。

 

ところが本書では著者の辛辣な苦言が、読み手の口中に苦味となっていつまでも残る。
最近のディランがテーマである第1章では、あの9.11当日に発売された『ラブ・アンド・セフト』の歌詞の盗作疑惑が取り上げられる。盗作元である日本人医師・作家の佐賀純一氏はディランの剽窃をむしろ「光栄」だとして許した。その気持ちもわかる。そしてディランは〈フォークやジャズでは引用はあたりまえだ。伝統的な技法だ〉〈ちまちま文句をつけやがって、昔からそうなんだよ〉〈誰もやっていることだ〉〈そんなに簡単に盗用で作品が作れるなら、やって見せてくれ〉と開き直った。

著者は多くのファンにとって、こうした剽窃は一種の裏切り行為であるとディランを批判する。新作が発表されるたびにその原典探しが行われるような近年のディランを苦々しく吐き捨てる。ところが反面、そこら辺のパクリ野郎同様の扱いができないディランの「サウンド」と「視点」の天才性を認めざるを得ない。そのアンビバレンツが本書の冒頭に据えられているのだ。

まず引き裂かれた自己の傷口を見せてから、ディランその人を解体していく。本書に感じる苦みはそこに起因していると言えるだろう。なぜこの「近年のディラン」を冒頭に持ってきたか? 僕はそれが気になってしょうがない。冒頭の章以降は概ね中山節で書かれており、興味深く楽しく読めるが、少し気になる点もある。

以前から著者はディランをプロテストシンガーの枠内でしか捉えない音楽ジャーナリズムとファンの共犯関係に強く異議を唱えていた。本書でもそれは変わらないし、はっきり言明されているが、どこか「あきらめ」の境地にあるように思えるのだ。


本書が出版された1年後に中山康樹さんは亡くなった。僕はその事実を知っているので、彼が本書に込めた思いが、ほんとうに、ほんとうに、気になってしょうがない。日本人作家を盗作したディランのノーベル文学賞受賞を、中山さんはどのような言葉で評しただろうか。

ビゼーと悪妻

ビゼー:「アルルの女」第1組曲、第2組曲、「カルメン」組曲

芸術家に悪妻は付きものだ。

ビゼーも悪妻の持ち主だったらしい。

私は17歳の時より思う所あって古典音楽を聴くのをやめたのだが、「アルルの女」は時折聞いていた。

小学生の時、放送委員をやっていたことがあるのだが、「アルルの女」ばかりかけていたら、先生から「別の曲もかけなさい」と怒られた。有名なメヌエット(第2組曲。元は歌劇「美しきパースの娘」より)を昼休みに3回連続かけたりしてたから当然だ。

でも、ヨハン・シュトラウスベートーベンをかけるぐらいなら、ビゼーにしたいとの思いは残った。好きな曲は繰り返し繰り返し聞くという性癖は現在まで続く。

 

そうして中学の時はバッハ、高校に入った頃はストランヴィンスキーに夢中になったが、いずれも一時で飽きた。

ビゼーは不思議に飽きない。もっと長生きしたら大作曲家になったような気がする。

もし配偶者が悪妻ではなかったら・・・それはどうともいえない。

ここ数年、また古典音楽をよく聴くようになったのだが、やはりビゼー作品はお気に入りだ。ただこの頃はグスタフ・マーラーを良く聴くようになった。マーラーは、その精神のあり方においてロック・ミュージシャンだと思う。

あまり関係ないけど、私が子供の頃「おもちゃのシンフォニー」といえばハイドン作曲だったが、いつのまにかレオポルトモーツアルト作曲になっている。ということはハイドンが作曲したときのエピソードはガセだったのだろうか。


ビゼー:《アルルの女》 第2番から 「メヌエット」

『サイバネティックスはいかにして生まれたか』N・ウィーナーの思い出〜流れを読む人。

サイバネティックスはいかにして生まれたか

 

SF小説の〝サイボーグ〟や近年至る所で接頭辞的に使われる〝サイバー〟という言葉の発祥となったサイバネティクス。この本はサイバネティクスについての解説書ではなく、サイバネティクスを創始した数学者の自伝。天才がどのように生まれるかの貴重な記録でもある。

はるか昔、高校の図書館にあった旧版を読んだ。当時から下の一節が好きだった。

 

数学の物理的な局面に対する私の絶えず高まっていた興味がはっきりした形をとり始めたのもM.I.Tにおいてだった。校舎はチャールズ川を見下ろし、いつも変わらぬ美しいスカイラインが眺められる。河水の面はいつ眺めても楽しかった。数学者兼物理学者としての私には、それはまた別の意味を持っていた。絶えず移動するさざ波のかたまりを研究して、これを数学的に整理することはできないものだろうか。(中略)いったいどういう言葉を使ったら水面を記述するという手におえない複雑さに陥らずに、これらのはっきり目に見える事実を描き出すことができるだろうか。

(『サイバネティックスはいかにして生まれたか』N・ウィーナー・鎮目恭夫訳/みすず書房

 

考えに煮詰まると、しばしば私は自宅や仕事場近くの川を見に行き、流れを見つめながらモチベーションを取り戻す。しかし、「数学的な整理」というより、「文学的な混沌」をそこに求めていると思う。天才数学者ではなくて、へぼな釣り人だからね。

 今年、私はどのような物語を川の中に読み取ることができるであろうか。そして、流れからの設問にどれほど解答を与えることができるであろうか。

『津波の霊たち 3・11 死と生の物語』雑感

津波の霊たちーー3・11 死と生の物語

津波の霊たちーー3・11 死と生の物語


今年も3月11日が近づいてきた。

 

本書は東日本大震災を描くノンフィクションの中でも白眉の一冊。インフルエンザに苦しむ最中に一気読みしてしまった。でもそれが良かった。もし電車の中で読んでたらオッサンの落涙姿を他人に見られたかもしれぬ。

著者は英《ザ・タイムズ》誌アジア編集長、東京支局長で、前作『黒い迷宮』で英国人女性ルーシー・ブラックマンさん殺害事件取り上げた。

 

本書では74名の子供が犠牲になった大川小学校の真実の追及を縦糸に、横糸として震災後に生き残った人たちの前に現れる霊のエピソードが語られ、その地平に見えてくる被災者の悲しみのパースペクティブに読者は茫然とする。

 

大川小学校に津波が押し寄せたのは地震発生から1時間近くたってからで、校舎の裏には低学年の生徒でも十分登ることができた小高い裏山があった。町の広報車などが津波の襲来と速やかな避難を警告し、それは小学校の先生方にも聞こえていた。それにもかかわらず、何故子どもたちはグラウンドに長時間とどめ置かれ、その後津波がやってくる方向に向かって避難したのか?著者は現地に何度も足を運び、犠牲になった児童の家族らと親交を深め、あえて辛い質問を投げかけながら、悲劇の全貌を解き明かしていく。

 

謎の追及のプロセスに、冒頭で述べた通り、震災以後に被災地各地で語られるようになった幽霊の目撃談と除霊のエピソードが絡んでくる。キーパーソンは僧侶で祈祷師の金田住職。霊と言ってもオカルト話ではなく、その正体が我慢や忍耐を美徳とする日本人(とりわけ東北人)の心性の一つの側面であることが照射されていく。大川小学校で子どもを亡くした親たちも霊能力者のコトバ(=死んだ子どものコトバ)で救われている。作者はそこに一つの救済の形としての価値を認めているが、一方で日本人の美徳(我慢、忍耐)が逆に日本人的な閉塞感という亡霊を生み出し、それが政治的な去勢につながっているのではないかと示唆する。同感。

 

霊にまつわる話の一環として、金田住職ら仏教の僧侶とプロテスタントの牧師たちが協力して、被災者とお茶とお菓子を囲んで話を聞き、ちょっとしたカウンセリングを提供する「カフェ・デ・モンク」というイベントが登場する。辛いエピソードが多い本書の中で、何となく心和むエピソードだ。「モンク」というのは「文句」と「僧 monk」の掛詞だが、発案者の金田住職セロニアス・モンクのファンだからでもあり、BGMとして彼の曲を流してたという。金田住職と共に被災地を慰問した宗教者たちは讃美歌やお経が、被害の甚大さの中で「そぐわない」という印象を持った。金田氏によると、そうした状況の中で独特の歪んだタイム感を有するモンクのジャズが、不思議と「被災者の心のなかのテンポ」にしっくりしたのだそうだ。実に興味深い話だ。

 

本書ではおそらく外国人だからこそ踏み込めたインタビュー視点が重要な役割を負っており、なかなか話題にしにくい被災者間の対立なども浮き彫りにしていく。これぞプロの仕事だが、インタビューも執筆もかなり辛い作業だったに違いない。そのためか本書冒頭と末尾は、まるで救いの物語としての体裁を整えるかのように〝生命の誕生〟のエピソードが添えられている。

私もそうであるが、子どもの親である人が読めば、読後しばらくは心のざわつきをおさえられなくなること必定である。

「A Hard Day's Night」関西弁訳

 


The Beatles - A Hard Day's Night - Official Video

しんどかった日の夜、犬ころみたいに働いたわい。

しんどかった日の夜、丸太みたいに眠りたいわい。

そやけど、お前のウチ行って、

お前の仕草をみていたら、

なんかごっつ気分ようなってきた。

 

 おう、一日中働いたるわい。
お前にごっつええもん買ってやるわい。

お前がなんか言ってくれれば、わしゃ満足やで。

「私のぜんぶ持ってけドロボー」の一声がほしいんや。

【以下略】

THE BEATLES「Hard Days Night」拙訳・部分)

A Hard Day's Night ? ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!