プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

半年ぶりに秩父フライフィールド「キャンプデー」に行ってきたよ (中編)

(前編から続く)

秩父フライフィールドは管理釣り場だ。管理釣り場とは平たく言えば釣り堀である。しかし、この釣り場は自然渓流をほぼそのまま使っている。ポイントにも変化があり、魚の密度が桁違いに濃いことを除けば、いわゆる渓流釣り気分で楽しく遡行の釣りが出来る。

魚は多いし、何度も来ているので、ある程度自分に制約を課す釣りが楽しい。最近はここに来ると「スタンダードフライで釣りをする」ことを自分に課している。

スタンダードフライというのは、それほど厳密な分類ではないが主に19〜20世紀までに確立した主にメイフライ(カゲロウ)を模した毛鉤のことで、「アダムス」「ロイヤルコーチマン」「ライトケイヒル」「クイルゴードン」「マーチブラウン」など、いかにもなネーミングがされている。現存するスタンダードは時のフィルターにかけられて残ったものだから、釣れないわけがない。しかし、最近の良く釣れるフライパターンに比べて、材料が多くてタイイング(毛鉤を製作すること)が面倒なものが多く、垂直ハックル(ボディ前部に巻いた鶏の羽)のドライフライはキャスティング時にくるくる回転してしまい、ティペット(ハリス)がヨレてしまいがち。そういうこともあって最近はあまり使っている人は多くない。しかし毛鉤釣りの要諦の一つは、他人が使っていない毛鉤を魚に見せる(魅せる)ことだから、かえって好都合なのだ。

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今回秩父で使用したスタンダードフライ。上段右向きがドライフライで、右からブロンズ・ウルフ、クイル・ゴードン、アダムス、ロイヤル・コーチマン。下段左向きがウェットフライで、こちらは左から「アレキサンドラ」「プロフェッサー」「シルバー・マーチブラウン」。

 

今回もスタンダードパターンはコンスタントに成果を上げてくれた。土曜日のイブニングタイム、1匹目はドライフライの「クイル・ゴードン」を35cmオーバーのニジマスがもんどり打ってくわえた。クイル・ゴードンは僕がもっとも信頼するスタンダード・ドライフライ(浮く毛鉤)で、ハックルを薄く巻いたものであれば、忍野桂川の神経質なヤマメのライズにも対応できる。その後、ドライフライを「ライト・ケイヒル」「アダムス」「エルクヘア・カディス」と交換し、暗くなって毛鉤が見えなくなってからウエットフライ(沈めるフライ)の「アレキサンドラ」と「シルバー・マーチブラウン」で釣った。前者はテレストリアル(甲虫など陸生昆虫)、後者はカディストビケラ)のイミテーションとされているが、まあ、あまり関係なく良く釣れる。ただ、ドライでも、ウエットでもこの日は食いが浅くて、途中でばれる魚が多く、結局15匹ぐらいだったか。

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最初に釣ったニジマス。毛鉤に躍り上がって食い付き、サイズ以上のファイトぶりを見せた。

結局、とっぷり暮れるまでフライロッドをふってしまった。となりでイナガキさんが慣れないフライキャスティングに苦戦していたが、毛鉤がそれなりの場所のそれなりのポイントで、それなりの流れ方をすればやっぱりちゃんと釣れている。まあ彼は昨夜ホンモロコを39匹も釣りまくって、本気出せば60匹は釣れたとか嘯いていたのだから、そのくらいの苦労はした方がいいだろう。うん、我ながら大人げがない。

 

川から上がってくると、漁協の建物に隣接した屋根付きスペースに食材と飲み物(主としてアルコール)が並び、宴会の準備が整っている。組合長とわれわれの仲間でもある内田さんを始め漁協組合員の方が大型の炭火コンロが2器に火を起こし、支度を調えていた。イワナ、豚肉、鶏肉、ラム、イカ、地場野菜、そして秩父名産絶品ホルモン。さまざまな食材が炭火であぶられ、釣り人たちの胃の中に吸い込まれていく。おまけに秩父の名店の味わいというとてもおいしいカレーライスまで用意されており、まさにお腹いっぱい。大名釣り、といっていいだろう。宴会アトラクションの腕相撲大会では、見るからに腕っ節の強そうな組合長に瞬殺された。ところが日本を代表するフライフィッシングのオピニオン雑誌『フライの雑誌』編集人のホリウチさんは、腕相撲でいきなり両手を使うというあまりにも卑怯すぎる反則技に出た。自分より大人げない男の姿を見て、ほっと胸をなで下ろしたのはここだけの話だ。

 

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イワナ、焼けてます。焼いているのは漁協組合員であり、我々の友だちでもある内田さん。彼はこの世のものならぬ存在が見える特殊能力を備えている。

 

(つづく)

 

 

半年ぶりに秩父フライフィールド「キャンプデー」に行ってきたよ (前編)

 

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秩父漁協の駐車場から浦山ダムを眺める。右手崖下の浦山川がフライエリア


先週の土曜日・日曜日は、半年ぶりに秩父フライフィールドで「キャンプデー」に参加した。渓流は禁漁期だが、このフライエリアは漁協管轄の管理釣り場【毛鉤&キャッチ&リリース限定】で年内は釣りが出来る。秩父漁協主催のキャンプデーは、料金5000円の内訳に「土曜日のイブニングの釣り〜晩飯&アルコール(!)〜宿泊〜日曜日終日の釣り」がすべて含まれると言うじつにじつにお得なサービスである。しかも宿泊に際しては漁協の持ち物であるプレハブ小屋を提供してくれる。めんどうなテント張り不要。秩父漁協、ブラボー!!

 

今回はいつもの仲間に加え、私のシーバス・ルアーフィッシング指導員でもあるイナガキさんも参加することになった。

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大盛況だったフィッシング・イラストレーター展。またやって下さい。


じつは前日、そのイナガキさんと日本を代表するフライフィッシングのオピニオン雑誌『フライの雑誌』編集人のホリウチさんと3人で、根津のギャラリーで開催されていたフィッシング・イラストレーター展を覗きに行った。イベントは大盛況でその後、ホリウチさんのたっての要望で3人連れだって吉祥寺の釣り堀カフェ「Catch&Eat」へ。琵琶湖原産ホンモロコは釣って楽しく、食べて旨い。ところが言い出しっぺのホリウチさんが絶不調で、イナガキさんが絶好調。僕もポツポツと断続的にしか釣れなかった。イナガキさんは毎回異なる状況をロジカルに分析しながら、短時間で最良の手を編み出す。さすが凄腕ルアーマン。僕などはどうしても自分がこうあってほしいという希望を状況より優先させて釣りをしてしまう。フライフィッシングの釣り人は、「効率」という言葉を忌み嫌い、往々にして自らの〝浪漫〟に拘泥してしまう傾向がある。いやまあ、そこがこの釣りの楽しさでもあるのだが。

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大人げなく競い合うおっさん2名

その後、翌日朝から秩父で釣りをするというホリウチさんは帰宅したが、午後からゆっくり行く予定のイナガキさんと私は「YONA YONA BEER WORKS 吉祥寺店」で23時過ぎまで酒を飲んで釣り談義。この店はビールが旨いのはもちろんだけど、ソーセージやローストチキンなど料理がことごとく旨いのが良い。お洒落な雰囲気でカップルが多い週末の店内で、どことなく魚臭いおっさん2名は異彩を放っていたといえよう。

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このローストチキンはホント旨い。


翌日午後に所沢駅でイナガキさんと待ち合わせ、秩父方面へ。飯能駅ボックスシートの4000系電車に乗り換えてスイッチバックを過ぎると、次第に車窓の風景が山間部のそれに変わる。正丸峠あたりまでは高麗川沿いに走ってた鉄路が横瀬川に出会うあたりで「芦ヶ久保」駅に到着。駅に隣接した道の駅で、仲間の車が待っていた。秩父フライエリアに到着して、イブニングタイムを待つ。当初、土日とも雨天の予報だったが、なんとか降雨は免れていた。僕とホリウチさんは、仲間内では「晴れ男」として知られる。

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芦ヶ久保駅ホーム。下車したのは我々だけだった。



やがて川から上がってきたのは「吉祥寺の仇を秩父で討ったった」とばかりに鼻をふくらませた日本を代表するフライフィッシングのオピニオン雑誌『フライの雑誌』編集人ホリウチさんだった。

 

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(つづく)

 

カズオ・イシグロ、翻訳、J・D・サリンジャー

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)ナイン・ストーリーズ―Nine stories 【講談社英語文庫】

 

 

カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞して、ファンとしては喜ばしい。で、昨日、イシグロ作品の原文について、海外生活が長く英語に堪能な二人の知り合いの方がそれぞれ「読みやすい」と「読みにくい」と正反対のことを言ってたのが面白かった。原作原文と翻訳作品の差は私などには生涯乗り越えられない障壁となるだろうが、その〝誤読〟を楽しめれば、それもまた文学と考えることにしている。ちなみにイシグロ作品は翻訳者に恵まれていると思う。特に多くの長編を訳している土屋政雄さんがいい。

 

で、先日、J・D・サリンジャーの研究者の話をちらっとうかがったことを思い出した。

 

サリンジャーの短編集「ナイン・ストーリーズ」の一編「エズミに捧ぐ- 愛と汚辱のうちに/原題:For Esm・with Love and Squalor」」は、日本語訳の文庫本で30ページに満たない作品。戦場で傷ついた元兵士の心をエズミという少女の無垢な愛情が癒す…という心温まる作品として読むこともできるが、読後感は決してほんわかしたものではない。何か不思議な澱のようなものが心に沈んでいく。不安といってもいいかもしれない。長年その正体がよくわからなかった。それが研究者の方の話をうかがって氷解しかけている。

 

「エズミに捧ぐ」は大まかに1944年、1945年、1950年の3つの時代から構成されている。時間軸的に最後の1950年のシーンは作品冒頭に置かれ、1ページほどの分量しかない。僕も単なるイントロとしてなんとなく読み飛ばしていた。しかし、研究者の方は近年の研究成果でこの部分がこの作品を読み解く核心になっていることがわかったという。一読すると、元兵士の主人公がニューヨークで妻と落ち着いた生活を送っているハッピーエンドのようだ。しかし、原文を精読すると、実は主人公が正常ではないことが読み取れる。戦場経験によるPTSD的な狂気がそこに隠されており、そこに作者のメッセージが込められていることがわかるという。そういわれて翻訳を読み返すとナルホドと思う部分もある。しかし言われてみないとそのニュアンスは翻訳文から読み取りにくい。名訳として誉れ高い野崎孝訳、数年前に出た柴田元幸訳でもそれは変わりない。

それでも僕が最初感じた「不安」みたいなものは、翻訳されたこの作品にも通奏低音のように流れており、多くの読者がそれを感じ取れるようになっている。逐語的な意味付けではなく、作品の構造としてテーマが表現されているということだろう。まあ、文学作品だから当たり前のことなんだが。

ナイン・ストーリーズ」は他の作品も構造の後ろに隠れているものが多い。

バナナフィッシュにうってつけの日」を最初に読んだときの衝撃は忘れられない。おそらくマンガBANANA FISH」を描いた吉田秋生もそうだったのだろう。また、笑い男」はご存じ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』のライトモチーフとなっている。アニメの「笑い男」マークに同じ作者の「ライ麦畑でつかまえて」の引用文が書かれているのはご愛敬だ。

いろいろ思い出してきたので、これを機会に9作品通して再読してみようか。

脳内遊戯

 

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おれたち一緒に、こんな脳内遊戯にふけっている。

バリアを押しやり、種を蒔いてる。

やっているのは脳内ゲリラ。

マントラとなえりゃ、この世は平和さ。

ジョン・レノンマインド・ゲームス』拙訳)

ジョン・レノンの凄さは、たとえ心の遊戯=妄想さえも、聞き手の脳内にリアリティーを持って現出させてしまう歌の上手さにある。たとえ自作の未完成品の曲(たとえばビートルズホワイトアルバム』やソロの『ミルク&ハニー』収録の諸作)でさえ、そうとは聞こえない。完成度の高い他人の曲(「ツイスト&シャウト」「プリーズ・ミスター・ポストマン」「スタンド・バイ・ミー」など)をレノンが歌うと、気の毒なほど元歌を凌駕してしまう。

こういう圧倒的な才能を持っている気分というのは、どうなのだろうか? レノンは自分の才能に自覚的だったはず。そしてその圧倒的さゆえに、それに寄りかかるとともに、反発もしていたと思われる。ビートルズ時代に声をエフェクトで変えたりしたこと、ヨーコの口車に乗って、愛と平和思想の人のフリをしたことなどが、その反発の現れと言える。

才能とは親のようなものなのかもしれない。どちらも、利用しつくすために存在する。そして、捨て去るためには、かなりの精神的努力が必要。

9・11とボブ・ディラン

 

 

 

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今日は9月11日である。昨夜の地震を、すわ仮想敵国のミサイルか….と飛び起きた私であるが、それがどうした、である。

2001年の今日、ボブ・ディランが新作「ラブ・アンド・セフト」を発売し、それが暢気な純音楽的作品であり、ニール・ヤングとか他のミュージシャンがテロについての真面目なコメントを次々に発する中、ひとり沈黙を守ったため、左右両陣営から「あいつはもうダメ」的な見方をされていた。約5年経って、米上院でイラク戦争の非正当性が議論されるなど、アメリカ人がようやく冷静さを取り戻す中、ディランは続編的な「モダンタイムズ」を発表し、全米チャート1位に輝いた。「欲望」(1976年)以来30年ぶりの首位返り咲きだ。 

 

1960年代、「公民権運動で揺れる若者の代弁者」として熱烈に支持されたディランだが、現在その歩みをふりかえってみると彼は必ずしもプロテストシンガー、あるいはメッセージ性主体のミュージシャンではなかった。純粋に音楽を追究してきた音楽馬鹿なのである。あまりに馬鹿すぎて、パーマネントなバンドも組織できない人である。そこがいいのだけれど。だいたい、プロテストソングの代表曲と目されている「風に吹かれて」の詞は、“深刻な問いかけ“を歌った後、こういう台詞で締めくくられるのだ。

The answer is blowin' in the wind その答えは、風に舞ってくるくると(意訳) 

実は(タイトルからして)おちょくりソングだったわけなのだが、真面目なディランファンは気づかないフリをし続けている。ノーベル平和賞ではなくノーベル文学賞を贈ったノーベル財団の見識は正しい。

 

ところで井上陽水の「傘がない」はコード進行をグランド・ファンク・レイルロード「ハートブレイカー」からパクッていることは有名だが、歌詞の意匠は「風に吹かれて」にインスパイアされているのだと思う。


Bob Dylan - Spirit On The Water - Lucca 2015

「モダンタイムズ」収録曲

ミカドの肖像

 

 

天皇家の戦後は、皇太子の訪欧(昭和28年3月~10月)、そして浩宮の留学と英国詣でがつづいている。欧米からみると、裕仁以来の天皇家の欧化は彼らの安全保障にとって好ましいものと判断されてきた。

ある意味では天皇家自身も、京都に閉じ籠もる方策の別の極として、アングロ・サクソンの王家と結ぶことで安全保障が得られることを知っている。

(中略)

僕は「天皇安保体制」という明文化されざる構想のようなものが潜在していると疑い始めている。

猪瀬直樹ミカドの肖像』~禁忌x n 「天皇安保体制」幻想~より)

ミカドの肖像 (小学館文庫)

 

幕末、頑強に開国に抵抗し続けた孝明天皇が急死する。死因は天然痘とされているが、毒殺疑惑というものが存在する。その黒幕は岩倉具視であり、実行グループのリーダーが伊藤博文だという。五百円札と千円札、昭和高度成長期のお札コンビ。もちろん、毒殺疑惑はあくまでも疑惑に過ぎないかもしれない。英国の外交官アーネスト・サトウがその疑惑を書きのこしている。

噂によれば、天皇陛下天然痘にかかって死んだという事だが、数年後、その間の消息によく通じているある日本人が私に確言したところによれば、天皇陛下は毒殺されたのだという。この天皇陛下は、外国人に対していかなる譲歩を行う事にも、断固として反対してきた。そこで、来るべき幕府の崩壊によって、朝廷が否応無しに西欧諸国と直接の関係に入らざるを得なくなる事を予見した人々によって、片付けられたというのである。反動的な天皇がいたのでは、恐らく戦争を引き起こすような面倒な事態以外のなにものも、期待する事は出来なかったであろう。
アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫))

 

後の明治政府のリーダー達(当時は一種のテロリスト)にとって、あのタイミングでの孝明帝崩御は幕府に対する巻き返しの大きな契機となったことは事実であろう。明治の国家天皇制というのは、まさに現実に即したソフィスティケイトされた攘夷安全保障の枠組みづくりといってもいいのではないか。その枠組みのシンボルの一つとして村田蔵六こと大村益次郎が遺品のようにこの国に遺していったのが東京招魂社、すなわち今の靖国神社であるが、百数十年を経て、それが安全保障上の瑕疵として浮上してくる。

現在も皇族の英国留学は継続しているし、近年は脱学習院的な流れから、女性皇族の国際基督教大学(長老派)への進学が続いた。今上天皇譲位を含めて、猪瀬さんの言う「天皇安保体制」はますます強固なものになっていきそうな気がする。




シンプル・マン

まだガキだった頃、ママにこう言われたのさ。

「私の横におすわり。そしてよくお聞き、かわいい坊や。

これから私が言うことをしっかり聞いて、守りさえすれば

きっと明るい明日がまっているはずよ。

自分の時間を大切にしなさい。焦ってはダメ。

トラブルは、いつか時間が解決してくれる。

さあ、自分にぴったりの女の子を見つけに行きなさい、恋をするのよ。

そしてね、天上にいる方について、けっして忘れないこと」

レイナード・スキナード『シンプル・マン』拙訳)

www.youtube.com

 

シンプルなことほど難しい。「自分にぴったりな女の子」っていうところで、たいていの息子たちは、まずつまずくに違いない。わたしはかなりつまずいた。「自分の時間」を無駄にしまくったし、「天上にいる方」なんて鼻もひっかけずにここまできた。「自分にぴったりな女の子」──たしかにそれが分かれば、苦労は少ないと思うのだが。

ところでこの『シンプル・マン』という曲は、北朝鮮に拉致された蓮池薫さんが、大学時代に大好きだったと聞いたことがある。レイナードやオールマンなどサザンロックのファンだったらしい。そういえばちょうど彼が拉致された頃、ヴォーカルのヴァン・ザントらメンバーとツアークルーが乗った飛行機が墜落し、バンドは瓦解した。北朝鮮で蓮池さんがこの歌詞を思い起こしていたとしたら・・・とんでもなく悲しく、意味深い曲のように思える。

 

レーナード・スキナード

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